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男のまんが道 第8回 不死身の男の運命~ちばてつや『紫電改のタカ』 荻原魚雷

 日本の敗色が濃厚になっていた昭和二十年四月、ちばてつやは満州奉天の鉄西小学校に入学する。が、空襲でほとんど学校には通えず、家にこもっていつも絵を描いていた。父が印刷工場に勤めていたので紙だけは困らなかったという。

「描くものは飛行機が多かった。というのはちょうどそのころ、父がどこかの飛行場へ連れて行ってくれて、ゼロ戦の実物を見せてくれたのである。 空を飛ぶ姿しか見たことのない飛行機を、目の辺りに見る感激は大きかった。ことに車輪が想像していたよりもはるかに大きかったので、声も出ないほど驚いた。ジェラルミンの胴体は初夏の日を浴びて、さわると温かかった」(『ちばてつや自伝 みんみん蝉の唄』スコラ/昭和五十六年七月発行)

 このときの感激が、後年ちばてつやに“戦記傑作”『紫電改のタカ』(講談社漫画文庫全四巻ほか)を描かせたのかどうかはわからない。本人としてはやや納得のいかない作品だったようだ。

 「紫電改」は、日本海軍の戦闘機である。当時の海軍の主力機は「ゼロ戦」が有名だが、「紫電改」は「紫電」という戦闘機の改良型。「ゼロ戦」より高速で機体も大きかった。
 ちなみに『機動戦士ガンダム』のカイ・シデンの名は「紫電改」からきている。アムロ・レイは「零戦」、リュウ・ホセイは「流星」(艦上攻撃機)、ハヤト・コバヤシは「隼」(はやぶさ=陸軍の名戦闘機)だろう。たぶん。

『紫電改のタカ』は、「少年マガジン」に昭和三十八年七月から昭和四十年一月まで連載された。

「‥‥この物語は昭和十九年夏 台湾南部にある高雄基地からはじまる」
「高雄基地 そこには名機紫電で編成された七〇一飛行隊があった」

 主人公の滝城太郎一飛曹は、「紫電」をさっそうとあやつり「逆タカ戦法」でアメリカの戦闘機を次々撃墜させる活躍をみせる。
 滝は向こう見ずでとても正義感が強い日本男児だ。理不尽なことをいう憲兵をなぐりとばし、ときには上官の命令にさからって単独行動することもある。
 かとおもえば、敵兵にかこまれ、絶体絶命の窮地になると、あっさり降伏し、いったん捕虜になって脱出をはかるといったかしこさも持ちあわせている。
 いかにも少年マンガの主人公らしいヒーローだ。

 でも一飛行兵が憲兵をなぐったり、上官にさからえば、ただではすまないことは容易に想像がつく。いつもおもうことだが、少年マンガのヒーローの「男らしさ」は、なかなか現実には通用しない。
 それを通用させるには現実ばなれした不死身さが必要となる。

 物語後半、滝は閉鎖した兵器工場で秘密の特訓をするシーンが出てくる。
 その特訓とは一分間に三百回転(!)する座席にすわって、機銃で的を射ぬくというもの。さらに崖からトロッコで猛スピードで疾走する特訓中、滝のことを好ましくおもっていないライバルにレールを外され岩に激突。トロッコは粉々にくだけちる。
 このくらいのことで命を落としていてはヒーローはつとまらない。
「信じられん‥‥あんなにめちゃめちゃにたたきつけられたのに‥‥」
「ふふふ おれがなんのために訓練してきたと思うんだ見くびらないでほしいな」

 この事故で深傷を負った滝は、気がつくと重爆撃機に乗せられ、いつの間にかケガが治り、突然「おりなさいっ 命令です」と空中から山中に突き落とされる。
 そこにはいきなり後ろから大きなマサカリを投げつけてくる(!!)謎の老人がいて、滝はさらなる修業をつむことになる。
 そんな様々な試練をのりこえ、滝はますますたくましく成長してゆく。滝のような操縦士があと百人くらいいれば、日本はアメリカに勝てたかもしれない。

 しかし戦争末期の日本は、操縦士の養成が間にあわず、世界水準から見ても優秀といわれたゼロ戦をはじめとする戦闘機は宝の持ち腐れ状態だった。日本の戦闘機は装甲が薄く、とても燃えやすかった。そのため熟練パイロットが次々と命を落とした。いかに高性能のマシンがあったとしても、若葉マークの運転手では話にならない。

 祖国防衛のために命がけで戦っていた滝も「いったいなんのためにこうして人間どうしが殺し合わなければならないんだ?」と悩みはじめ、苛烈な軍国主義批判を口にするようになる。
 やがて日本の必敗をさとった滝は、「そうだ!」「○○の○○になろう」と将来の夢を語る。

 ラストはとてもかなしい。

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プロフィール
荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『借家と古本』(スムース文庫)、
編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)がある。
今月から晶文社ワンダーランド(http://www.shobunsha.co.jp/)でエッセイの連載
をはじめました。
# by sedoro | 2006-01-26 14:09 | 男のまんが道

早稲田の文人たち 第28回 まだ続くむだ話〈その4 〉  松本八郎

●《スムース文庫08》『加能作次郎 三冊の遺著』愈々刊行!               

本欄で、昨年の4月から6月にかけて採り上げた「加能作次郎」のなかで、《スムース文庫》の一冊として予告宣伝していた拙著『加能作次郎 三冊の遺著』が、このほどやっと発行された。
 「加能作次郎」という作家は、今日ではほとんどの人には馴染みのない名だと思われるが、それも道理で、彼の生前の単行本はすべて大正期に発行されたもので、昭和期に入ると、亡くなる年の昭和十六(1941)年まで、一冊の作品集も発行されることがなかった。
 没後すぐ、遺著あるいは追悼出版として、作品集が三冊刊行されるが、日米開戦の直前のことで、敗戦後はすっかり忘れ去られ、これらの本も今日では容易に手にすることができない(作次郎の出身地・石川県能登の地元では、戦後に二冊の作品集が刊行されている)。

 今回の『加能作次郎 三冊の遺著』の、そのサブタイトルに「その出版社・その出版人」とくっつけているが、それは、16年間もジャーナリズムに無視されつづけた作次郎に、最後の花道を歩ませようとした、作次郎の早大の後輩である谷崎精二、宇野浩二、広津和郎に加え、この三冊の作品集を刊行した「牧野書店の牧野武夫」「桜井書店の桜井均」「大理書房の田中末吉」について書いているからである。
 作次郎の経歴については、大正十(1921)年の大日本雄弁会発行『大正新立志篇』に紹介された「文士、加能作次郎君」を復刻・再録しているので、くわしくはそれをお読みいただきたい。
 《スムース文庫》は、 早稲田では古書現世、神田では書肆アクセス、京都では三月書房、その他で販売されているので(頒価=500円)、是非ご購読くださり、いろいろご教示くださって、ご意見をお聞かせください。

 そんな「加能作次郎」なので、私共の[EDI叢書]の一冊として『加能作次郎 三篇』を編んだのだが、そのキャッチフレーズに「忘れられた作家たち」と書いたら、[EDI叢書]が完結した今年に入って、某大学名誉教授から「彼らを『忘れられた作家』とは……。(略)原本とてすぐ入手出来るものを」と揶揄され、バッサリ斬られてしまった。
 まあ、専門が近代文学史で、その他いろいろ肩書きもあり、古書価10万円前後もする「加能作次郎の原本」を、屁とも思わず買える身分の人間にとっては、「知ってて当然」「読んでて当然」だろうけど、ともかく、この叢書の刊行の趣旨も読み取れない、この手の学者先生の世間知らずには、ホトホト困ったものだ。ハッキリ云って営業妨害である。

 作次郎の二百余篇ほどの作品を、彼の云う「きりりとした選集」にすることなど、【金さえあれば】、----なんでもかんでもブチ込んだ、ただブ厚いだけの、彼の著作以上に、いや、それよりも数倍もましな本を作るぐらい----それこそ屁でもない。
 そんな批判を偉そうに云うぐらいなら、自分のポケットマネーで「選集」でも作ってから、言って欲しい。スポンサー(版元)がいて、肩書きのお蔭で、全集や選集の監修料を貰っているだけの人間から、とやかく言われたくはない!
 私の場合は、本業で稼いだ僅かな金から、なお 四苦八苦の捻出をして、作っている!
 「第一、あなたは、自分の懐から金を出して、[EDI叢書]を買ってくれましたか?」
 しかしそれにしても、この御仁、研究者でもない素人(単なる文学フアン)相手にケンカを吹っかけるなんて、いったいどういう性格をしているんだろう?

 みなさんは、加能作次郎の名前を知っていましたか? 加能作次郎の作品を読んでいましたか? 加能作次郎の「原本とてすぐ入手出来」ましたか?

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プロフィール
松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら
れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行
して話題に。「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ http://www.edi-net.com/
# by sedoro | 2006-01-26 14:04 | 早稲田の文人たち

早稲田で読む・早稲田で飲む 第26回 早稲田にもあった貸本屋 南陀楼綾繁

 前回、早稲田にはマンガを扱う古本屋が少ない、と書いた。じゃあ、早大生がマンガを読まなかったといえば、そんなコトはないのです。1980 年代半ばのマンガ界は、『少年ジャンプ』を頂点とするメジャーと、『ガロ』を底辺とするマイナーが、両方とも元気で、毎月のように注目すべき新刊が出ていた。当然ながら、それらのすべてを買うコトはできない。「マンガ喫茶」は中央線などに数軒あったが、いまのように大規模なモノではなく、読みたいマンガが置いてある可能性は低い。図書館がマンガを置きだすのは、1990年代に入ってからのコトだ。

 そこでどうするかと云えば、友人に借りるか、貸本屋で借りるか、の二つしかなかった。入学してしばらくは、本やマンガの話のできる友人がいなかったので、ひたすら貸本屋に通った。ぼくが住んだ西荻窪には〈ネギシ読書会〉というチェーン系の貸本屋など数軒があり、銭湯の帰りに毎日のように寄ったものだ。当時つけていた出納帳には、「貸本入会金100円」「貸本80円」「貸本260円」「貸本180円」などの涙ぐましい数字が記録されている。

 早稲田にも、〈まんが市(いち)文化堂〉という貸本屋があった。場所は、南門通りのほぼ真ん中、〈メーヤウ〉というカレー屋が入っているビルの、外階段を上がった正面。奥に向かって、右半分が貸本コーナーで、左半分が古本だったと思う。貸本は、白土三平、水木しげる、松本零士、藤子不二雄、永島慎二らの大御所から、『ガロ』系マンガや少女マンガまで、中央線の貸本屋には置いてないタイプの本がよく揃っていた。『COM』などの古いマンガ雑誌も貸していたような気がする(マチガイかもしれないが)。ぼくはココで、諸星大二郎や杉浦日向子(先日お亡くなりになった)、泉昌之などを借りて読んだハズだ。

 きっと、店主も店員もかなりのマンガ好きだったのだろう。決して広い店ではなかったが、よく整理されているし、新刊もいち早く並べられていた。文学部の授業を終えて、本部キャンパスに移動する途中や、昼飯を食べてから、店に寄ると、ナニかしら読みたいマンガが見つかった。一年の秋にサークルに入ってからは、マンガのハナシのできる友人もでき、「その本なら、まんが市文化堂にあったよ」などと情報のやり取りをするようになった。当時はまだマンガが、映画や音楽と同じように、共通の「言語」であり得たのだった。ちなみに、早稲田から少し歩いた鶴巻町には、私設の〈現代マンガ図書館〉(http://www.naiki-collection.com/)があるが、敷居が高い気がして、一度しか行ったコトがない。

 卒業してからは早稲田に行く機会も減り、返却のことを考えると、〈まんが市文化堂〉で借りることもしにくくなった。この店は、1990 年代後半まではあったと思うが、末期は古本だけになっていたのではないか。閉店してから、この店のコトはすっかり忘れていたが、数年前、神保町にできた〈@ワンダー〉の店主は、〈まんが市文化堂〉をやっていたヒトだと聞いて、驚いた。〈@
ワンダー〉にはときどき行っているが、顔を憶えられないぼくには、誰があの頃早稲田にいたヒトなのか、見当も付かない。でも、いつか、ナニかのついでに、〈まんが市文化堂〉について訊いてみたいものだ。たとえば、どうしてこういう店名にしたのか(だって「マンガイチ」なんてヘンな名前でしょう)、とかね。

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プロフィール
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。現在、ライター・編集者。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、編著に「チェコのマッチラベル」(ピエブックス)がある。

▼南陀楼さんのブログ日記はこちら!
ナンダロウアヤシゲな日々  http://d.hatena.ne.jp/kawasusu
# by sedoro | 2006-01-26 14:01 | 早稲田で読む・早稲田で飲む

ぬいだ靴下はどこへ ~ハルミン・ダイアリー~ 浅生ハルミン

7月のある日 夏と肉食

 午後、小田急線某駅でSちゃんと待ち合わせ、F夫妻の家へバーベキューをしに行く。住宅街の奥まったところにそこだけ木に囲まれている古い二階建ての家。その庭で肉を焼いて食べる。あとでMさんも来る。
 Fさんの旦那さんが炭火をおこし、バーベキューセットの網の上に羊肉と牛肉と野菜をのせてゆき、焼けた肉を私らに取り分けてくれる。肉を配る男の人をみるとにわかに私は原始人に先祖がえりして、岩穴の中で今日の獲物を男原始人から分け与えられているようなような気持ちになって、子供の頃、登校前にテレビで毎朝観ていた『はじめ人間ギャートルズ』の影響力をいま
さらながらに思い知らせられるのだった。そんな夏の午後。足下には蚊取り線香。お腹がはちきれそうなくらい肉を食べた。幸せです。

 夏の暑い盛りに肉を食すのが私はとても好きです。沖縄の牧志公設市場の二階の食堂で食べた牛肉とたまねぎを炒めた料理は、んがんがと肉を噛み砕いて飲み込んだあと、炒めたたまねぎを口に入れるとしゃりしゃりとした野菜のうまみがひろがった。汗をかいてよれっとした身体にぐぐっと生きる力がよみがえる。肉はすばらしい。
 数年前の夏休み、知人の別荘でバーベキューをしたときのこと。まだ十分に焼けていなかった高級霜降り肉を再び網に戻し、そろそろ焼けるかなーとお皿を空けて待ち構えていると、他の人のお皿には肉が戻っていったのに、どういうわけか私の肉だけ戻ってこなかった。私の肉はどこ……?眼の前には空っぽのお皿。自分だけ舞踏会に連れていってもらえず掃除を命じられた灰かぶり姫のような気持ちに襲われ、泣いてしまった。私のお皿にだけ肉がのっていないのが本当に悲しかった。そのことを思い出すと、悲しさが今も完璧に、完全なまでによみがえってきてまた泣いてしまう。本当に何度でも泣ける。私の悲しみの回路は牛の胃みたいになっているのかもしれない。すみません。

 こんなことを書いていますが、私は子供の頃肉が大嫌いだった。お正月、松阪牛の本場にある祖母の家へ行くとすき焼き専用の卓とふつうじゃない鉄の鍋がふつうにあった。そこに松阪牛がふるまわれるのですが、肉を食べられない私はそれゆえ毎年祖母の家に行くのが恐ろしかった。食べたふりをして、舌の下に肉を隠し、ごちそうさまをしたあと自分の手さげ鞄の中にペペ
ッと吐き出して、ずいぶん長く保存したりしていた。吐き出した肉をどこに始末したらいいかわからなかったからです。どこに捨てても必ず見つかって叱られると思ったからです。この愚行は今も顔から火がでるくらいに恥ずかしい。
 肉のことで冷静さを失うのは大人の女としてはしたないですわ、と自分でも思うので、おいしそうな肉を目の前にしてもしれっとしている気持ちの強さを持ちたい、と来年は七夕の札に書こうと思います。


7月のある日 合羽橋でセドリ

 女四人で合羽橋。鍋釜を売る店を見てそぞろ歩く。店の中のものすべてに埃がかぶっていそうな陶磁器屋を見つけて入る。白いお手塩が1枚75円、70年代から売れ残っていそうなコーヒー皿が1枚50円、ダンスク風の大皿が3枚3千円!安い。このお皿が欲しい。しかし3枚もの大皿を買ってこれに何かのせるだろうか、と思うとのせない気がしてきたので買わなかった。
でもあきらめもつかないので、人目につかない下のほうに隠して店を出た。
 以前来たときにはなかったような輸入調理器具を売る店もできていた。ル・クルーゼの鍋、安い。うちにあるのは丸い16センチの白。オーバル型のふたまわり大きい鍋を買おうかなあ、と思ったけれどいつそんな大量の煮物をするのか、しないな、と思ってやめた。
 家に帰りつく。いつもの通り、朝出て来た時のまんまの部屋。いつか読もうと思って買った本が読まないまんま散らかっている。古本屋さんで思いのほか安い本を発見し、眼を輝かせて勢い良く買った時のことが思い出された。
 鍋は買わなくてよかったのだとふたたび思った。


7月のある日 道で本を拾えなかった私

 夜。スーパーの帰り道。高速道路の拡張で立ち退きになって人の住まない住宅街のごみ集積所に、ひさしぶりに本の束が捨ててあった。いちばん上にのっかっているのは黒い箱にオレンジ色の印に細いゴチックの白抜き文字、これは鹿島出版会のシリーズだわ。デザインの歴史とかって背の文字がある。この1冊があるということは一緒に縛られた本もそれなりの関連図書である可能性大。他の本の背を見ようと頭を傾けたとき、うしろから来た人がそばを通り過ぎていった。縛ったひもをゆるめて本を引っこ抜いている自分の姿はあの人から見たらどんなだろう、と想像してみたらいたたまれなくなって、すみやかに帰途についた。道に落ちている本を拾えなくなった自分が悲しい。ついに私はヤキがまわったのだろうか。


7月のある日 アメヤさんを救助だなんておこがましい?

ここからは長いひとり言だと思って読んでください。

 いま、六本木のギャラリー、P-houseで飴屋法水さんhttp://www.phouse-w
eb.com/main/archives/000009.htmlの個展が開催中。近日中に私も行かねば
と思っているのですが、すでに観に行った方たちの感想をインターネットで読んだ。
 アメヤさんは24日間の会期中、小さな空気穴しかあいてない真っ暗な箱の中に流動食と水を持ち込んでずーっと入ったまま出て来ない。外から箱をゴンゴンとノックすると、中からアメヤさんがノックを返し、それでアメヤさんが生きていると確認できる。行った人は「アメヤさんがノックを返してくれてよかった」ということを感想に書いていたりする。アメヤさんはこの5年間個展をしていなくてその間は「動物堂」というペットショップを営んでいた。外国から輸入されて箱に入って運ばれてくる動物みたいに、アメヤさんも箱の中でじーっとしているのだろうか。そのような動物は、アメヤさんのこの展覧会と関係があるのだろうか。私はまだその展覧会を見ていないの
に、アメヤさんのことが気になってしょうがない。

 行った人はみな口を揃えて「スゴイ!」と書いている。心配もしている。けれど展覧会の感想を書いてしまえるのはアメヤさんの箱がギャラリーにあるからで、これがもしどこかの家のガレージ等での出来事だったらすぐさま救助しないといけない一大事です。それを、美術という前提で行ったから、真っ暗な箱に入ったまんまの人を観に行ってまた帰って来れてしまうのだろ
うか。もしそうだとしたら人のものの見方というのはえらく几帳面なものだ。いくら美術といえども箱に入った人は生身の人間で、美術かそうでないか関係なしにお腹は減るし暗闇にずっといる気持ちって計り知れないし、もしかして衰弱しきってしまうかも。必ず箱から出て来られるとも限らないのです。そうしてその箱を目の前にした人は、観る前とその後ではあきらかに心情が
変わってしまうようなのです。それは自分が日常的に生きていることをどんなふうに思うのかということに関わっているような気がするのだけど…。

 アメヤさんは、展覧会の当日まで準備状況をインターネットの日記に書いていて、「あともう××日で当日」とか「前夜…」とか書いてあるのが、いま読み返してみるとその時間の迫る意味がずしーんと響きます。これを“オープニングまでの作業の締切り”だと思っていた私は自分がすごく俗物に思えて仕方ありませんでした。
………ここまで全部、展覧会を観に行く前の私の妄想です。事実が違うところがあると思います。展覧会を観たらもっとぐるぐる思わせられるだろうなあ。自分はこれこのように生きていられてありがとうって思うだろうか。それよりも生きててごめんなさいと思うような予感がする。それでも私は変わらず生活してゆくのだけれど……。もう!アメヤさんはいったいなんてことをするんですか!!でも生きててごめんなさいと思うのはいまのところ動物界ではヒトだけかもしれないし…。ギャラリーに行ったあとで、あまりの勘違いにこの文章がすごく恥ずかしいものになっているだろうなあと思いつつ書きました。まとまりのない文章で大変失礼いたしました。

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プロフィール
浅生ハルミン(あさお・はるみん)
イラストレーター。『彷書月刊』にて「ハルミン&ナリコの読書クラブ」を連載中。著書に『私は猫ストーカー』(洋泉社)がある。
浅生ハルミンのブログ 「『私は猫ストーカー』passage」公開中!
http://kikitodd.exblog.jp/
# by sedoro | 2006-01-25 14:00 | ぬいだ靴下はどこへ 

チンキタ本バカ道中記 第2回 チンキタが歩くザ・大阪  前田和彦・北村知之

知っている人も多いだろうが、一般的に、大阪の繁華街には大きく二つの
エリアに分類されている。そう、いわゆる「ミナミ」と「キタ」というやつ
だ。「ミナミ」は現在の我々が「関西人」と聞いて、真っ先に思い浮かべる
泥臭いイメージの集積地のような場所。吉本興業、たこやき、身も蓋もない
実用主義、「他にくらべりゃ外国同然」等々。対して「キタ」は、中央公会堂、
阪急文化、モダニズムといった「都市文化」に代表されるような、洗練された
イメージを幻視したくなるような場所。つまり、全くの正反対。今も言った
ように、「大阪」の活気があってにぎやかなイメージを担っているのは、
「ミナミ」である。しかし、本好きにとって重要なのはどちらか。異論がある
人もいると思うけれど、それは「キタ」だと思う。古本では、かっぱ横丁、
天神橋筋商店街、梅田第三ビルの地下街、OMMビルで開かれる年に一度の
大古書市、新刊書店では大阪一の広さと品揃えを誇るジュンク堂梅田本店
(本好きには「編集工房ノア」のコーナーも有名)、そして写真集や美術書、
個性的なミニコミが揃うギャラリー・calo。では「キタ」の安定した「本エリ
ア」振りと比べて、「ミナミ」はどうかというと‥‥あまり言いたくないけれ
ど、はっきりいって散漫な印象を拭い得ない(笑いの殿堂・NGKの向かいにある、
ジュンク堂なんば店の「大阪コーナー」は、貫禄があって凄く良いが)。
けれど、アメリカ村、堀江、船場など、どちらかと言えば若者の街「ミナミ」
に、ここ数年、伝統的な「キタ」とは違う色を持った古本屋が根付きはじめている。

■前田 僕にとって「ミナミ」は、家から電車に揺られること数分、あるいは
自転車でも楽勝で行ける場所なんだけど、北村さんは今日「ミナミ」を歩いて
みてどうでしたか?

▲北村 まず、「キタ」とは、人の顔からして、ぜんぜん違う。ほんと、青木
雄二の漫画みたいな人が、普通に歩いているから。建物も、どれも、建て増し
建て増しで、雑多で、無国籍な感じの街並みになっている。でも、そういうビル
の片隅に、服屋、レコード屋、雑貨屋、カフェと、個性的で良い店が揃っている
のが、すごく面白い。

■前田 今日はチンキタ的に「今のミナミ」を代表する古本屋に二軒行ったわけ
ですけど、一軒目はもう凄く名前が通ってる店で。

▲北村 ベルリンブックス(http://www013.upp.so-net.ne.jp/BerlinBooks/)な。

■前田 そう。小奇麗でクラシックな「農林会館」ってビルの一室。他には服屋
とかミリタリーショップ、雑貨屋、敷居の高そうな美容室が入ってます。ベルリ
ンブックスは関西では情報誌を中心にたくさん紹介されていて有名ですよね。
総合的にみて、今、関西で一番良い雑誌「エルマガジン」の表紙も飾りました
し。けど、なんていうのかな、未だに「オシャレ古本屋」みたいな感じで紹介
されてるけど、もはや古本屋として定着してますよね。

▲北村 今日は土曜日やったからかも知れんけど、狭い店の中が若者でいっぱい
やったな。

■前田 ゆっくり見れなかった程ね(笑)。疲れていつもより早く出ちゃいましたよ。

▲北村 そんなこと言いつつ、お前は面白そうな本買ってたやんか!しかも100円で!!

■前田 そんなデカイ声出さなくても。『秘宝館の女 都築響一 VS. 唐沢俊一』
(トランスギャラリー)と唐沢俊一『ジャック・チックの妖しい世界』(東京文化
研究所)。どっちもミニコミっていうかパンフレットっていうか、そんなに古い
ものじゃないからこそあんまり見つからないタイプの本ですね。

▲北村 どっちも唐沢俊一が関係してるな。

■前田 同じ持ち主が売ったんでしょうね。一冊目は個人的には「持ってるだけ
で満足」系の本でした、あと、二人の対談がないのがもったいない。二冊目は
キリスト教原理主義の主張を全面展開したマンガを描いてる、ジャック・チック
というカルト作家をおもしろおかしく(時には現在の日本の状況や国際政治を
語りつつ)紹介した本。これはおもしろかった!唐沢俊一は「トリビア」関係の
こととか「おたく論」とか「と学会」とかの仕事はどうでもいいから、「変な洋
モノ」の紹介をもっとやってほしいと痛感しました。アート・アニメとかをこの
人がちゃんと語ったら絶対面白いですよ。北村さんも何か買ってましたよね。

▲北村 常盤新平編・訳「ニューヨーカー・ノンフィクション」(新書館)を
500円で。常盤新平の本は、無条件に買うことにしてるけど、この本は、毎年、
同じ表紙で出されるニューヨーカーの創刊記念号を並べた装丁がかわいくて、
それだけで買い。ベルリンブックスは、100円、200円の本は、まず無いけど、
良い本が、良い状態で、適正価格で揃っているな。

■前田 あれ、一冊だけでしたっけ? そっか、北村さんがいっぱい買ってた
のは、次に行った一色文庫だ。

▲北村 小林信彦「回想の江戸川乱歩」(文春文庫)。あと、均一台から、山口
瞳・赤木駿介「日本競馬論序説」(新潮文庫)、横田順弥「明治不可思議堂」
(ちくま文庫)、中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」(PHP研究所)を
拾いました。なんと言っても、「回想の江戸川乱歩」が嬉しい。やっぱり、
この表紙が良いよ。光文社版を買わずに、探した甲斐があった。あと、「僕に
踏まれた町と僕が踏まれた町」は、神戸に住む者としては、外せない本。

■前田 バイトの帰り道にたまたま見つけた店なんですけど、僕、一色文庫は
凄く好きなんですよ。まず、ロケーションが最高。日本橋にある国立文楽劇場
の裏道に入っていくと、軒の低い家々から伸び出た乱雑な電線郡に空が覆われ
てて、橋を渡ると、「イイ顔」の赤ら顔オヤジ、着物をきたおばちゃん、濃い
化粧のヤンキー系お姉ちゃんといったトラッドな水商売系の人たちが行き来し
てる。もちろん多言語が飛び交ってます。たぶん織田作之助が描いた大阪の
空気はこんな感じじゃなかったのかな、とさえ思ったり。繁華街にあるのに、
寂れてるわけじゃなく妙に静かで、それが生活感を醸し出してる。

▲北村 けどそんな場所にも関わらず、一色文庫自体の見た目とか内装は凄く
洒落てたよな。空間を広く使えるような大きさの本棚とか、長時間本を見ても
疲れないようにレイアウトされてると思う。椅子まであったしね(笑)。だか
らと言って品揃えは大したことないっていうとそんなことは全然なくて、どう
いうお客さんが来るのかよくわかってる感じはしたな。

■前田 ベルリンブックスもそうですけど、値段とか本の状態がブックオフ
とかの新古書店以降っていう感じは凄くしますね。無茶苦茶珍しい本がある
わけじゃないけど、読みたいと思う本はあって、値段も割と安い、っていう。
100円・300円コーナーを除くと、ブックオフってだいたい定価の半額で本を
売ってますよね。そういうところが似てる。違うところは本の種類が雑多
じゃなくちゃんと傾向がある。服屋でいうと、ブックオフがフリーマーケット
でベルリンブックスは面白い古着屋って感じ。

▲北村 そうやな。一色文庫は、文芸、美術、建築、写真、旅行など、棚を、
きっちりジャンル分けしてあるし、値付けは、ほぼ、定価の半額。中でも、
文芸書は、作家名あいうえお順に並べてある。これは、すごい新古書店的で、
面白みが無いようにも思えるけど、見やすいさ、買いやすさで言えば、やっぱ
り、従来の古本屋よりも優れてる。

■前田 あと、カジュアルでお洒落にレイアウトされた空間の古本屋っていう
意味では、大阪ではベルリンブックスやちょちょぼっこ以降ですね。さっきも
言いましたけど「オシャレスポット」として一時的に消費されるんじゃなく、
ああいうスタイルが根付いて来てるって側面も絶対あると思いますよ。「服屋
みてレコード屋でいろいろ試聴してコーヒー飲んで帰る」みたいな、若者の街
散歩コースにいよいよ古本屋も入ってきたのかもしれないですね。

▲北村 だから、本として、珍しいとか珍しくないとか、高いとか安いとかは、
あまり、関係が無いのかも。ベルリンブックスがセレクトした古本を買うとい
う行為に意味がある。

■前田 だからこそ、新古書店的な値段、価値基準が必要なんだろうし。信じ
られないけど、一般的に若者はいわゆる「古本屋」にはいろんな意味で敷居が
高いくて入りにくいですよ、彼らにとって感覚的に馴染みのある古本屋って、
そりゃブックオフでしょう。

▲北村 本好き、古本好きにとって、ブックオフは、あまり肯定的には語られ
ないけど、ブックオフが、古本を再び身近なものにしたことも確か。そういう
意味でもベルリンブックスや一色文庫で知ったような作家やジャンルのセンス
を、もう一回、ブックオフに持ち帰って、それで古本道に迷い込むケースも、
これからは出てくると思う。

■前田 僕はそうなったら本当に面白いと思ってます。なんだかんだ言って
「ミナミ」は若者の街だから、「キタ」の安定感とは違う、そういう新世代の
本好きも育つ、独自の本エリアを形成していってほしいですね。

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プロフィール
前田和彦(まえだ・かずひこ)
1981年大阪生まれ。『BOOKISH』編集委員を経て求職中。
小さくてすぐ興奮する様から犬の「狆(ちん)」を連想させるために
「大阪の狆」の異名を持つ(南陀楼綾繁氏命名)。
狆についてはこちら。http://www.dogfan.jp/zukan/japanese/chin/

北村知之(きたむら・ともゆき)
1980年神戸生まれ、神戸在住、絶賛求職中の25歳、ダラダラとアルバイト
しながら本を読む日々、ハローワークと古本屋通いが日課。好きな作家は
山口瞳、野呂邦暢、藤沢周平。
ブログ日記「エエジャナイカ」http://d.hatena.ne.jp/akaheru/
# by sedoro | 2006-01-25 13:54 | チンキタ本バカ道中記