人気ブログランキング | 話題のタグを見る

早稲田で読む・早稲田で飲む 第8回 思い出の「エフワンビル」 南陀楼綾繁

 この数年、出版業界では「何でもあり」の状態が続いている。歴史ある出版社や取次、書店がつぶれることも、もはや珍しくはない。しかし、池袋の〈芳林堂書店〉が年内に閉店するというニュースには驚いた。

 同じ池袋にある〈リブロ〉の草創期から最近までを、自分の体験と関係者への聞き書きをもとに描いた快著、田口久美子『書店風雲録』(本の雑誌社)では、1970年代の初頭に〈芳林堂書店〉が「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったという証言がある。
 この発言をした中村文孝(現・ジュンク堂書店)は、〈芳林堂書店〉高田馬場店の誕生に立ち会っている。
「高田馬場店は三百坪ぐらいだろう。駅前の立地だからそんなに悪くない。十二月二十五日のみぞれの降る日にオープンした。(略)人文・社会系の本は面白いほどよく売れた。月に一万冊以上売った」(同書より)

 同店はJR高田馬場駅を出て、ど真ん前にある「F1ビル」の3、4、5階に入っている。ぼくが大学に入った1986年も、早稲田には大学生協のほかに大手の書店はなく、ナニかというとココに本を買いに来ていた。その頃はまだ3階だけだったように思う。

 2階には、いまはなくなったが、エスカレーターを降りて左に〈ジャンナン〉という喫茶店があった。以前に触れた「乱調社」のメンバーが10人ぐらいココに集まり、小さな発表をしたり、雑談をしていた。アルコールなしなのに全員めちゃくちゃアッパーで、「おたく」から南方熊楠までを口角泡を飛ばして語り合った。店員の冷ややかな目が忘れられない(笑)。同じ階には、昔もいまも〈揚子江〉という中華料理屋があるが、入ったことはない。

 〈古書現世〉の向井透史くんによれば、このビルの表記は「F1ビル」ではなく「FIビル」なんだそうだ。えーっ、「エフワンビル」じゃないぉ? ぼくも周りのヒトもみんなそう呼んでいたけどなあ。「なんでエフワンなのか?」と疑問に思っていた。まあ、「エフアイ」だとしても意味がワカランのだけど(オーナーのイニシャル説もあるそうだ)。

 ところで、『書店風雲録』には〈芳林堂〉の高田馬場店が開店した「十二月二十五日」が何年なのか、どこにもまったく書かれていない。こんな基本情報を落とすなよ(これだけに限らず、同書には編集上のいい加減さが目立つ)。高田馬場店に電話してみると、若い女性が親切に調べてくれた。「はっきり判りませんが、1971年か72年です」とのこと。向井くんがビルの定礎を見てきてくれたが、そこには1961年11月とあったそうだ。だとすると、高田馬場店はビルができた直後に開店したコトになる。32年もこの地で頑張っているのだ。池袋店はなくなっても、高田馬場店は永く続いてほしい。BIGBOXと並ぶ駅前の象徴「エフワンビル」とともに。

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

-------------------------------------
プロフィール
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。現在、ライター・編集者。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、編著に「チェコのマッチラベル」(ピエブックス)がある。

▼南陀楼さんのブログ日記はこちら!
ナンダロウアヤシゲな日々  http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/
by sedoro | 2005-10-15 18:24 | 早稲田で読む・早稲田で飲む
<< 古本バイト道 ーこんなアタシに... 早稲田の文人たち 第7回 尾... >>