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通天閣の見える街から 第6回 藤森良蔵と「考え方研究社」 八子博行

この4月からひょんなことから、近くの短大で非常勤講師を勤めることになった。小学校教師を20年少し勤めた関係で、小学校教職員免許の取得のために必要な算数教育関係の講議を受け持つことになった。というより、なってしまったと言う方がいいだろう。既に、教師を辞めて8年、教育などと言う分野については、ほとんど関心を持つことはなかった、というか遠い世界の出来事になってしまっていた。それが、今回の件で、またもや、算数と言う教科についてのネタの仕込みに追われることになってしまった。店もあるし、雑誌も出さなければならない、そこへ持ってきて今回の話。ほとんど、頭のなかはパンク状態、実にやばい。
    
今、現在の私が、算数という教科を興味深く研究できるのは、一体、どんな分野、どんな領域なんだろう。やるからには、それなりのモチベーションを持ちたい。と、いろいろ考えを巡らせるなかで、ふと思い出したのが藤森良蔵のことだ。藤森良蔵は、第一次大戦から第二次大戦にかけて、高等学校や専門学校を受験したことのある人ならたいてい知っていると言われる、受験数学の分野において著名な人物である。確か小島政二郎の「鴎外・荷風・万太郎」にもこの人のことに触れた一節があったように思う。

そんなこともあって、「かわりだねの科学者たち」(板倉聖宣・仮説社)という本を手にとった。とりあえず、藤森良蔵という人物のアウトラインを知りたかったのである。この本を讀んでみて、彼の数学教育の革新性などについては、具体的な内容は分からなかったものの、「反骨の受験屋」としての生き方や、彼が主催した「考え方研究社」の活動は、予想通り、興味をかき立てられるものだった。彼は、明治15年(1882年)、長野県上諏訪に生まれた。明治期に青春を過ごした人物によく見られる、反骨の国士気分といった雰囲気を彼も持っていたようだが、国のためではなく、受験生のために命を賭けた事業を展開するというのが、面白く興味深い。

それにしても、何故、受験数学なのだろう。それは、彼自身が、数学が苦手で困り抜いた経験が大きかったようだ。東京物理学校(現・東京理科大学)という、入るより出る方が難しいとされていた学校での猛勉強で苦手な数学を克服すると、同じく、数学で困っている受験生を助けるために働くことを志す。彼は、学校という公の場ではなく、在野の立場で、より受験生に密着した受験現場に身を置いて活動を展開した。そのために設立されたのが、「考え方研究社」だ。「考え方研究社」では、彼の教育理念である「考え方主義」を体現・宣伝するための雑誌「考え方」や受験参考書を発行したり、受験生のための公開講座「日土講習会」を催したりした。戦後の旺文社を思わせるような活動だ。しかし、彼は、単なる受験屋ではなかった。反骨の人であり、創意・工夫の人なのであった。

いずれにしても、建て前の上の主流である学校の優れた教師だけにスポットを当てるのではなく、すぐれた受験指導者である藤森良蔵のような人の仕事もきちっと射程に入れ評価しようとするこの本の著者、板倉聖宣氏の姿勢には大きな共感を覚える。しかし、藤森良蔵の受験参考書の名著の数々、手に入るのだろうか。

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プロフィール
八子博行(やこ・ひろゆき)
1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に。
by sedoro | 2005-10-20 23:22 | 通天閣の見える街から
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