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男のまんが道 第5回 ハードボイルドについて~『名探偵に名前はいらない』 荻原魚雷

 関川夏央の作品はほろ苦い。『「名探偵」に名前はいらない』(講談社文庫)もまた苦い小説である。この小説の主人公は探偵なのだが、事件の謎解のようなことはほとんどしない。探偵も単なる職業のひとつとして描かれている。
 「名探偵」を自称する名前のない探偵の言葉に「仕事は一流、営業は五流」という台詞がある。お天気おねえさんと探偵とクスリの売人との三角関係を描いた「十二月にできた友だち」の中にあった一言だ。

 また仕事は信頼するに足るが、協調性に欠ける「探偵」は、山手線のラッシュを次のように語る。(「悲しみの街角」)

「宗教のひとつの意義ってのはですね、地獄のイメージを提示することだと思うんです。ひとはそれに従って自分の行動を律するんです。ところが日本人には、少なくとも、東京人には、さらに少なくとも池袋新宿間の電車を利用する人には地獄のイメージなんて必要ない。毎朝経験しているからです。すさまじいひとごみ。これを描けといったらマンガ家はネコを連れて逃げ出すくらいです」

 名前のない探偵はさらにこう続ける。

「新宿から中央線に乗り換えたときは心から安心しました。ガス室の一歩手前で番人に、今日の営業は終わり、といわれた気分ですね。すいている逆行電車に給料日前のヤクザみたいにだらしなく腰おろして、自分の人生の選択が正しかったことを確認しました」

 ちょっと読みたくなりませんか? 名もなき自由業者の心情が、見事に描かれている小説だとおもう。

 ところで、この作品とほぼ同じタイトルで「ニューハードボイルド原作大全集」と銘打たれた『名探偵に名前はいらない』(東京三世社)というマンガの存在をごぞんじだろうか? わたしは最近まで知らなかった。すこし前に大阪の古本屋で守村大の『大根入りカレーライスの唐辛子あえ』(東京三世社)というマンガを買い、その本の巻末にあった既刊案内で知ったのだ。その後、都内のマンガ専門の古本屋をまわったが、見つからず、やむをえず定価よりすこし高い値段でインターネットで購入……。ただし署名本だ。

 原作はもちろん関川夏央。作画は白山宣之(「名探偵に名前はいらない」)、谷口ジロー(「死ぬには好い日だ」「要求は……なにもない」)、松森正(「かくも長き不在」)、上村一夫(「嫉妬について」)、ほんまりう(「雪の日は裸足が美しい」「乾いた街」)が担当、口絵は大友克洋--。作画担当者による「原作者関川氏のこと」というメッセージや「関川夏央全調書」「Q&A」、さらに巻頭には原稿用紙がそのまま印刷された「哀しみの街角」がはいっている。
 マンガ『名探偵に』刊行は1981年だから小説『「名探偵」に』(単行本=1988年)の7年前に出ている。初出誌は78年から80年くらいなので、関川夏央、谷口ジローのコンビの名作『事件屋稼業』(双葉社)と同じころに書かれたものだ。

 マンガと小説で共通している話は「乾いた街」がある。ただし、マンガ版の探偵は「不動院」という名前がある(小説のほうのタイトルは「渡るべき多くの河」と改題)。

 学習塾を経営し、原発に労働者を送りこむヤクザの話で、経営の才のある青木と武闘派の滝村が対立していて、そこに「不動院」(小説では名前のない探偵)がからむ。
 組長代行の青木がテレビでこう語る。「結局80年代に学歴社会が崩れることはないと思いますね むしろ強まってある種の貴族階級ができるんじゃないかな」
 一方、滝村は「せこい商売なんぞ カタギに任しときゃいいんだ ヤクザはヤクザらしく堂々と汚ねえことをやって太ろうじゃねぇか!!」とほえる。

 ここ数年、階層社会、格差社会という言葉がしきりにいわれているが、関川作品では七十年代末からすでにそのことをとらえていた。

 上村一夫が作画の「嫉妬について」は、上村一夫+関川夏央作品集『ヘイ!マスター』(双葉社)にも収録されているホモの探偵の話だ。この連載は、四回で立ち消えになった。
「いまあらためてこの作品を読み返してみると、晩年の上村さんの仕事としては感傷にも流れず、またあいまいな情感のひだのなかに物語を逃避させず、かなりいいものに仕上がっていると思う」(「知る限りの上村一夫」/『ヘイ!マスター』)

 この「感傷」に流れまいとする気持は、関川夏央の強い意志でもある。

「探偵たちは、さりげなく街に登場し、街を歩き、数人の男たちを殴り、数人の女たちに心を残し、原則として痩せがまんを美徳と頑なに考えて、実を失い、そんな自分に忸怩としながら比較的短時間のうちに街角のひとつをまがって姿を消してしまう」(名前のない探偵たちからひと言/『名探偵に名前はいらない』)

 また関川夏央著『中年シングル生活』の「『探偵』とは何者か」に次のような一節がある。

「ハードボイルド小説の底を流れるのは『人の心事ははかりがたい』という思いである。諦念といいかえてもいい。(中略)探偵は街区を歩いて、善人、悪人、好漢、怪人、美女、悪女、さまざまな人物に会う。行動よりも会話をはるかに好む探偵は、いわばインタビューを重ねて相手を知ろうとつとめ、ときに悪人、悪女の心の内部にひそむ孤独だのおびえだの、いわゆる人間的ななにものかに感応して、かすかな友情を抱く」

 ハードボイルドの真髄は、「痩せ我慢」と「諦念」。いいかえると、「男はつらいよ」ということになる。

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プロフィール
荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『借家と古本』(スムース文庫)、
編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)がある。
今月から晶文社ワンダーランド(http://www.shobunsha.co.jp/)でエッセイの連載
をはじめました。
by sedoro | 2006-01-22 17:25 | 男のまんが道
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