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早稲田の文人たち 第27回  まだ続くむだ話〈その3〉  松本八郎

●『早稲田文学』に寄稿した意外な人たち(2) 話を戻して、島崎藤村/田山花袋  

 坪内逍遥によって創刊された『早稲田文学』は、明治24(1891)年10月から同31(98)年10月まで156冊発行された(最後の1年のみが月刊で、それまで月2回の発行であった)。48号までは東京専門学校が発行所で、以降は逍遥個人の早稲田文学社が発行元となる。これを「第一次」という(今回のフリーペーパーは、第何次か知らない)。
 「第二次」『早稲田文学』は、オックスフォード、ベルリン両大学に留学して帰国した島村抱月(1871-1918)によって、明治39(1906)年1月に復刊される。当初は金尾文淵堂、後に東京堂が発行所を引き受けているが、昭和2(1927)年12月に休刊するまでの21年間に、263冊発行された。

 この「第二次」の復刊と時おなじくして、博文館から田山花袋を編集発行人とする『文章世界』が創刊される(1906年3月)。当初は実用文の指南雑誌であったが、創刊の翌年から、編集助手(のちに編輯主任)の前田晁(1879-1961、1904年英文科卒)、同館『太陽』編集者(のちに同館編輯局長)の長谷川天渓(1876-1940、1897年文学科卒)、窪田空穂(1877-1967、1904年文学科卒)らを選者とする文芸投稿雑誌となり、一方で花袋の主張する自然主義文学の牙城となっていった。

 またこの年、島崎藤村の自費出版「緑蔭叢書」第一作『破戒』が刊行される(1906年3月)。この作品は、『早稲田文学』誌上で逸早く採り上げられ、ヨーロッパの文芸思潮に通じた島村抱月によって、わが国独自の自然主義的文芸としての評価を受ける。
 自然主義文学の発端作品の、もう一つの代表作、田山花袋の『蒲団』は、翌年9月に発表されるが、この作品も『早稲田文学』の誌上合評会で高い評価を受ける。──しかし、この『蒲団』を積極的に掲載した『新小説』の編集長・後藤宙外(1866-1938、1894年文学科卒。抱月と同窓)は、自然主義が全盛になると、反自然主義の急先鋒となり、笹川臨風らと「文芸革新会」まで組織して、この文学運動を徹底糾弾しはじめる。

 そうしたこともあって「第二次」『早稲田文学』は、自然主義文学運動の拠点ともなり、藤村、花袋も『早稲田文学』に寄稿するところとなる。
 ──もっともこの「第二次」は、何も自然主義作家ばかりではなく、門戸を広く開放して、「意外な寄稿者」永井荷風や夏目漱石なども寄稿しているのだが……。

 このころの自然主義文学運動に関しては、自身も自然主義作家と見做された正宗白鳥(1879-1962、文学科、史学科、英語科に学ぶ)の、『自然主義文学盛衰史』(1948・六興出版部〈この元版は『自然主義盛衰史』という書名〉、1951・創元文庫、1954・角川文庫、2002・講談社文芸文庫)は、数ある自然主義文学に関する本のなかで、ピカイチのお勧め本。
──まあ、皆さんとっくにご存知でしょうが。

 ご存じない方は、ぜひ早稲田古本村の各店舗でお探しいただき、お読みいただきたい。

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プロフィール
松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら
れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行
して話題に。「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ http://www.edi-net.com/
by sedoro | 2006-01-25 13:17 | 早稲田の文人たち
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