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早稲田で読む・早稲田で飲む 第26回 早稲田にもあった貸本屋 南陀楼綾繁

 前回、早稲田にはマンガを扱う古本屋が少ない、と書いた。じゃあ、早大生がマンガを読まなかったといえば、そんなコトはないのです。1980 年代半ばのマンガ界は、『少年ジャンプ』を頂点とするメジャーと、『ガロ』を底辺とするマイナーが、両方とも元気で、毎月のように注目すべき新刊が出ていた。当然ながら、それらのすべてを買うコトはできない。「マンガ喫茶」は中央線などに数軒あったが、いまのように大規模なモノではなく、読みたいマンガが置いてある可能性は低い。図書館がマンガを置きだすのは、1990年代に入ってからのコトだ。

 そこでどうするかと云えば、友人に借りるか、貸本屋で借りるか、の二つしかなかった。入学してしばらくは、本やマンガの話のできる友人がいなかったので、ひたすら貸本屋に通った。ぼくが住んだ西荻窪には〈ネギシ読書会〉というチェーン系の貸本屋など数軒があり、銭湯の帰りに毎日のように寄ったものだ。当時つけていた出納帳には、「貸本入会金100円」「貸本80円」「貸本260円」「貸本180円」などの涙ぐましい数字が記録されている。

 早稲田にも、〈まんが市(いち)文化堂〉という貸本屋があった。場所は、南門通りのほぼ真ん中、〈メーヤウ〉というカレー屋が入っているビルの、外階段を上がった正面。奥に向かって、右半分が貸本コーナーで、左半分が古本だったと思う。貸本は、白土三平、水木しげる、松本零士、藤子不二雄、永島慎二らの大御所から、『ガロ』系マンガや少女マンガまで、中央線の貸本屋には置いてないタイプの本がよく揃っていた。『COM』などの古いマンガ雑誌も貸していたような気がする(マチガイかもしれないが)。ぼくはココで、諸星大二郎や杉浦日向子(先日お亡くなりになった)、泉昌之などを借りて読んだハズだ。

 きっと、店主も店員もかなりのマンガ好きだったのだろう。決して広い店ではなかったが、よく整理されているし、新刊もいち早く並べられていた。文学部の授業を終えて、本部キャンパスに移動する途中や、昼飯を食べてから、店に寄ると、ナニかしら読みたいマンガが見つかった。一年の秋にサークルに入ってからは、マンガのハナシのできる友人もでき、「その本なら、まんが市文化堂にあったよ」などと情報のやり取りをするようになった。当時はまだマンガが、映画や音楽と同じように、共通の「言語」であり得たのだった。ちなみに、早稲田から少し歩いた鶴巻町には、私設の〈現代マンガ図書館〉(http://www.naiki-collection.com/)があるが、敷居が高い気がして、一度しか行ったコトがない。

 卒業してからは早稲田に行く機会も減り、返却のことを考えると、〈まんが市文化堂〉で借りることもしにくくなった。この店は、1990 年代後半まではあったと思うが、末期は古本だけになっていたのではないか。閉店してから、この店のコトはすっかり忘れていたが、数年前、神保町にできた〈@ワンダー〉の店主は、〈まんが市文化堂〉をやっていたヒトだと聞いて、驚いた。〈@
ワンダー〉にはときどき行っているが、顔を憶えられないぼくには、誰があの頃早稲田にいたヒトなのか、見当も付かない。でも、いつか、ナニかのついでに、〈まんが市文化堂〉について訊いてみたいものだ。たとえば、どうしてこういう店名にしたのか(だって「マンガイチ」なんてヘンな名前でしょう)、とかね。

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プロフィール
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。現在、ライター・編集者。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、編著に「チェコのマッチラベル」(ピエブックス)がある。

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ナンダロウアヤシゲな日々  http://d.hatena.ne.jp/kawasusu
by sedoro | 2006-01-26 14:01 | 早稲田で読む・早稲田で飲む
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