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カテゴリ:通天閣の見える街から
  • 通天閣の見える街から 【最終回】第14回 ~おじさんは雑誌を目指す~ 八子博行 
    [ 2005-11-18 00:04 ]
  • 通天閣の見える街から 第13回 ー没後50年内田巌展(小磯良平記念美術館)ー 八子博行
    [ 2005-11-16 18:59 ]
  • 通天閣の見える街から 第12回 ~逆説と独断の人~ 八子博行
    [ 2005-11-03 23:55 ]
  • 通天閣の見える街から 第11回 ~「いかがわしさ」と「怪しさ」と~ 八子博行
    [ 2005-11-03 23:38 ]
  • 通天閣の見える街から 第10回 ~「信濃デッサン館・無言館」窪島誠一郎さんのこと~ 八子博行
    [ 2005-11-03 23:22 ]
  • 通天閣の見える街から  ~栗谷川虹さんの内田百軒文学賞受賞作『茅原の瓜』のことなど~ 八子博行
    [ 2005-11-03 23:12 ]
  • 通天閣の見える街から 第8回 八子博行
    [ 2005-10-30 16:51 ]
  • 通天閣の見える街から 第7回 ~腰痛と編集~ 
    [ 2005-10-26 12:15 ]
  • 通天閣の見える街から 第6回 藤森良蔵と「考え方研究社」 八子博行
    [ 2005-10-20 23:22 ]
  • 通天閣の見える街から 第5回  八子博行
    [ 2005-10-18 01:00 ]
通天閣の見える街から 【最終回】第14回 ~おじさんは雑誌を目指す~ 八子博行 
1年間、このコラムを続けさせてもらってきたのだが、次回から同じく「BOOKISH」の編集をやってもらっている、前田君にバトンタッチ。「 BOOKISH」のあとがきにも書いたのだが、二足のわらじがハードになり、このメルマガの向井さんにも迷惑をかけっぱなしになってきた。ホント
すみませんでした。というわけで、私にとっては最終回のコラムということになる。

「BOOKISH」の方は、遅れていた8号を、やっと刊行することが出来、ほっとしている。御陰さまで、なかなか好調な動きをしめしているようで有り難い限り。内容的にも、今回の特集は様々な方からいい評価を頂いており、そういう点でも喜んでいる。ただ、8号まで続けてきて、いろいろ
と弱点が見えてきたのも事実で、そのあたり次号に向けての編集作業の中で、大胆に改造プランを練って行きたいと思っている。

ところで、つい先日、札幌から「山口瞳の会」をやっておられる、中野朗さんが所用で来阪され、うちの店にも寄って頂いた。大阪の「山口瞳の会」メンバーである藤田さんとお二人での来店だった。中野さんたちの活動は、ここ数年の山口瞳ブームと軌を一にしたかのように展開されてきたように思える。もっというなら、起爆剤になったといべきか。
新潮文庫の「礼儀作法入門」が刊行と前後して、「山口瞳の会」が発足し、会報である「山口瞳通信」が発刊された。最近の山口瞳ブームの陰には、中野さんたち熱心な山口瞳読者の活動があったことは間違いないだろう。ところで、中野さんは、私と同じ様にちょっと早い目にサラリーマン生活をリタイアされ、次なる展開を模索されている。いろいろと考えておられるようだが、本という媒体を中心としたスペースと雑誌の刊行に集約されそうな気配。

もう一人、これまたつい最近、次号からDTPを担当してくれる河崎さんという方と打ち合わせをやった。河崎さんは、年来のロックファンで、行く行くは、60年代から70年代に掛けての音楽シーンや背景となる社会・文化状況(なんていうと、あまりにもステレオタイプな説明になってしまうのが)、ごった煮的な日本の文化状況の中で、どのようにロックが根を下ろして行ったのか、周辺の領域まで視野におさめた音楽雑誌を作りたいという。私より、5~6歳下になる河崎さんだが、中学時代から、ロックはもちろんのこと、ブルークラスやブルースなどアメリカのルーツミュージック関係の輸入盤を買いあさっていたというから、なんという早熟な餓鬼だったのだろう。
  
ともあれ、年季の入った趣味と思い入れをたっぷりぶち込んだ、おじさんたちが目指す新たな雑誌、どんな展開になるのか楽しみだ。

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プロフィール
八子博行(やこ・ひろゆき)
1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に
by sedoro | 2005-11-18 00:04 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第13回 ー没後50年内田巌展(小磯良平記念美術館)ー 八子博行
「BOOKISH」最新号をやっと出稿することが出来た。
書店の店頭に並ぶのは、月末くらいになると思う。本当にいつもいつも遅れてすみません。

ところで、今回の特集「画家のポルトレ」で取り上げた一人が、明治の文芸評論家・内田櫓庵を父に持つ内田巌だった。折も折り、その内田巌の没後50年を記念した遺作展が、今、神戸の「小磯良平記念美術館」で行われている。この遺作展は、戦時中内田が疎開していた、岡山の刑部に近い、「新見市美術館」とともに巡回展として開催されたものだ。それにしても、驚かされたのは、今回の展示は、没後初の本格的回顧展だということである。なんというグッドなタイミング、早速、「小磯記念美術館」に連絡を取り、ポスターを掲載することに。それはいいとして、ふと思ったのが、没後50年になるまで、本格的な回顧展が開かれなかったのは何故だろうということだ。今回の回顧展の目録のなかの論文を読んでみて、おぼろげながらその背景が見えてきた。

内田巌は、戦前、国家による美術界統制ともいうべき帝展美術院改組に反対し、新制作派協会の立ち上げに参加、その理論的支柱として活躍した。戦時中は戦時体制への協力を回避し、妻・静の母の郷里、岡山県刑部町に疎開する。そして、戦後、民主的美術家の大同団結を呼びかけた日本美術会が創立され、初代書記長に選出される。そして、この戦後数年にわたる華々
しい活躍が内田巌という画家のその後のポジション・イメージを良くも悪くも決定付けてしまったようだ。戦後社会の民主化の嵐は、戦時中、各界の中枢にいて、戦争協力を押し進めた人たちへの弾劾からはじまった。そして、美術界に於いては、一方に弾劾される側の筆頭と目された藤田嗣治がおり、また一方に弾劾する側の急先鋒として内田巌がいた。そんな中で、二人の間に、<内田が藤田に戦犯の烙印を押し、日本から追放した>という有名なエピソードが生まれた。

今回の、内田巌展の目録には、美術ジャーナリストの藤田一人氏がこの件に関しメスを入れており、さまざまな資料を駆使しつつことの真相に分け入っている。そんなエピソードとともに、戦後のこの時期は、作品においても東宝争議を題材にとった、「歌声よ起これ」など社会主義リアリズム風の作品を描いた。また、1928年(昭和23年)には、日本共産党に入党もしている。
父・櫓庵が息子・巌に托した、「ヒューマニチィの為に働き」という願いを、政治による社会変革という地平にまで押し広げてきた巌の理想は、しかし厳しい政治的現実のなかで押し潰されることになる。

もちろん、このような戦後すぐの活動によって、貼りつけられた社会主義運動家的なイメージだけでは、括りきれない画家としての全貌があるわけで、そんな意味でも今回の内田巌展はとても大きな意義があると思う。また、今号の「BOOKISH」では、樽見博氏が、内田巌の仕事を文業という側面から、読み解いて頂いている。ともあれ、内田巌という魅力的な画家の仕事が、これを機会に新たな光をあてられることを願っている。

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1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に
by sedoro | 2005-11-16 18:59 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第12回 ~逆説と独断の人~ 八子博行
「BOOKISH」最新号が大詰めで大変だ。
こんなことを言うと叱られそうだが、あまりにもやるべき事がありすぎると、私の場合、だんだんとダラけてくるという困った癖がある。仕事に追われるというのが、生理的に嫌なのである。あれもして、これもしてと考えるているうちに、頭が朦朧としてくる。ストレスに対しては、極めて脆弱な体質なんである。(んなこと言ってる場合か!)
  
てなわけで、今回の特集は、もうここでも何度も紹介しているように「画家のポルトレ」と言うタイトルで、画家の文業に焦点を当て、言うなら、近代日本のもう一つの「文学誌」みたいなものを編み出してみよう、ということである。谷中安規、村山槐多、松本竣介、亀山巌、内田巌、鍋井克之など。谷中安規については、最近、東京そして宇都宮と巡回で展覧会が開かれた。また、内田巌は、この10月から、神戸の「小磯良平記念美術館」で、生誕百年を記念した遺作展が開かれている。さらに、「 BOOKISH」にも目録を寄せて頂いている、名古屋の書店「書物の森」が去年、「名古屋モダニズムシリーズ01」と題して、亀山巌が版元になった「名古屋豆本」の展示を行っている。そんなわけで、取り上げた画家たちは、今でも多くの人々の関心を惹くに充分な魅力を備えた人たちと言えると思う。
  
その亀山巌の「名古屋豆本」だが、20年以上に渡って、定例本百十六冊、別冊二十八冊が刊行された。今回、この「名古屋豆本」の最終巻である『私の生きた時代』(亀山巌)に目を通す事が出来た。これがまた、何とも面白かった。亡くなった1989年に行われた講演会を纏めたものだ。詩人・エッセイスト・画家そして中日新聞編集局長まで努めた亀山巌という、稀代のマルチ人間の人生哲学が実に生き生きと語られている。

「恐らくは僕の生き方というのは逆説と独断だけだと思います。そして今一番大切にするのは省エネでしょうね、万事につけてそうなんです」

「ツッパル事が大嫌いなんです。ツッパルにはエネルギーがいる、なんでもかんでも私は可能な限り力を入れるということが嫌いなんです」

「議論になりますと力まないといけませんし、くたびれますから、僕はおしゃべりが好きなんです。つまらない話、役にたたん話が一番好きなんです」

「志というものを立てると、その志のために生きづらくなる、そしてその立てた志に辿り着けるかと言うと、僕はあまり辿り着けた人を聞いたことがない、それだったら気楽に行きましょうというのが、私一代の昭和史といえるんじゃなかろうかと思います」

こういう味のある人生哲学を読むと、「考現学」から、「雑学倶楽部」そして「現代風俗研究会」への関わりといった側面が思い起こされる。つまり、旺盛な好奇心と面白い物好きという側面で、「楽しさ」や「遊び」というものをなにより大事に追求しようとした人生。さらにその好奇心は、性文献方面にまで伸びていったりする。こんな魅力的な人物と出会えるのも雑誌編集をやった賜物にちがいない。忙しさに押しつぶされている場合ではないのだ。働け! 

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1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に
by sedoro | 2005-11-03 23:55 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第11回 ~「いかがわしさ」と「怪しさ」と~ 八子博行
 時として、何もかも放り出して一人旅に出たいなんていう、そんな時があるものだ。「いい歳をして」などと笑われそうだが、いくつになっても現実逃避・空想癖は変わりようもない。最近、世界遺産に登録された吉野・熊野に遊ぶのもいいし、昔から好きだった信州も歩いてみたい。外国に行きたいというのはあまりなくて、この辺りの感覚は若い人と違ってどうしようもない世代の差なのだろうか。というか、単に金がないだけということなのかもしれませんが。

で、信州というと、前回も触れた「信濃デッサン館」。最近の信州熱の源はどうもこの美術館にあるようだ。村山槐多、関根正二、松本俊介(しゅんという漢字が出ないもので)、靉光、吉岡憲、野田英夫等、夭折した画家達のデッサンを集めた個人美術館。その「信濃デッサン館」の主、窪島誠一郎氏の新しい本『「明大前」物語』(筑摩書房)が刊行された。「明大前」は、窪島さんが幼い頃から青春時代を過ごした土地で、ある意味、懐かしさと同時に、若さ故の苦さや恥ずかしい事柄の埋まった土地でもある。

水上勉の実の息子とはいえ、養父母に育てられたその生い立ちはかなりハードなものだ。貧困だけではなく、気管支喘息、先天性尿道炎、などの病気やはたまた「五円はげ」にまで悩まされたという。そしてまた、子ども時代は「嘘つきセイボウ」などという、有り難くないニックネームもあったくらい、「自分の家は大きな靴会社の社長」とか近所の大きな歯科医院の家が自分の家など虚言癖もあっりした。そして、高校卒業後の職業遍歴の後、スナックを始め小金が貯まりだすと、真っ赤なトヨペット・クラウンにジーパン、赤いスポーツシャツ、首には当時流行の石原裕次郎ばりの銀のネックレス(紛い物)という出で立ちで、女の子達をとっかえひっかえナンパなんていうこともあったらしい。

前号で、窪島誠一郎という人物の魅力を「自分の理想と、それを支えるしぶとい現実感覚を持った人」なんて分かったようなことを書いた。勿論、それはあるにしても、私が彼に惹かれているのは、実は自分の持っているいかがわしさとか、怪しさをついつい吐露してしまう、というか吐露せずにはおられないそんな性分に自分を重ね合わせているのかもしれないと思ったりした。(あくまでも勝手に)考えてみると、私自身、怪しさといかがわしさでは、かなりの線を行っているのではないかと。小学校の教師を、途中でおっ放り出し、にわか仕込みで始めた飲食業でも「いっちょまえ」の顔をしたり、あげくの果ては、雑誌の編集にまで手を染める。どうにもこうにも仕様のない快楽志向の軽薄者なのだ。そんなあたりに、どうもシンパシーを感じてしまう。勿論、彼にやっている仕事は、私などの及ぶところではないのではあるが。

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季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に
by sedoro | 2005-11-03 23:38 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第10回 ~「信濃デッサン館・無言館」窪島誠一郎さんのこと~ 八子博行
 『BOOKISH』は、次号8号で「画家の書いたエッセイ」(仮)という特集を予定している。村山槐多・谷中安規・内田巌・亀山巌・鴨居怜・鍋井克之といった画家の画業ではなく、文業(こんな言葉あるんでしょうか?)をメインとした特集である。そんなわけで、ここに挙げた画家達のあれこれを調べている。で、ネットで検索しているうちに、浮かび上がって来たのが信州の二つの美術館だった。一つは、東信濃・上田市にある、窪島誠一郎氏が経営する「信濃デッサン館」、そしてもう一つは、その「信濃デッサン館」のある上田市の近く、東御市(とおみし)にある梅野隆氏経営の「梅野記念絵画館」。「梅野記念絵画館」では、今現在、「内田巌青春譜~大正ロマンのラブレター展~」というのが開かれている。また、「信濃デッサン館」は、村山槐多作品の常設展示館として、「槐多庵」というのがあり、彼の作品がいつでも見ることが出来る。ある意味、村山槐多のメッカのようなところなのだろう。毎年、二月の第四日曜日には、「槐多忌」が行われ、全国から何百ものファンが参加するらしい。信州の田舎の小さなエリアで、二つの個人美術館が、次号の特集に関わる二人のユニークな画家についての展示が見れるということは、ある意味、ちょっとしたミラクルのようにも思えたりする。

 ところで、「信濃デッサン館」の窪島誠一郎氏は、作家水上勉の実の息子さんで、ずっと生き別れになっていて、三十数年ぶりに対面したことで大きな話題となった人物だ。小さな露店の靴職人だった養父母に育てられた窪島氏は、高校中退後、二十近くの勤めを変えた後、オープンした明大前で始めたスナックが大当たりし、そこで貯めたお金をもとでに画商に転じる。もっとも、小さな飲食店で貯めたお金がいつまでも続くはずもなく、イチかバチか意を決して信州の田舎に夭折した画家のデッサンばかりを集めた「安普請のマッチ箱のような個人美術館をつくった」(『信濃デッサン館20年~夭折画家を追って~』窪島誠一郎・平凡社より)という。

 夭折した画家の絵を集めたり、戦没画学生の絵を集めたり(最近「無言館」という戦没画学生の慰霊美術館を立ち上げられた)、いわば生と死にこだわったような蒐集を続ける窪島さんなのだが、『信濃デッサン館20年~夭折画家を追って~』(平凡社)などを読むと、そんなストイックなイメージとは随分違う人間のイメージが立ち上がってくるようで面白い。氏は、御自分のことを、「落ちこぼれ男」であるという。もし自分が、大金持ちであったり、優等生であったりしたら、誰も自分のことを応援してくれなかっただろうと。また、「無言館」にしても、時代遅れの発想であったからこそ思い浮かんだことだという。二つの美術館を維持出来るのは、「私自身にそなわった戦後日本の飽食を逆手にとった「夭折画家商売」の手腕(?)ということにつきるだろう」(同書・あとがき)などと、自信たっぷりかつユーモラスに語っておられる。窪島さんのような、自分の理想と、それを支えるしぶとい現実感覚を持った人には、ついつい惹かれてしまう。

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by sedoro | 2005-11-03 23:22 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から  ~栗谷川虹さんの内田百軒文学賞受賞作『茅原の瓜』のことなど~ 八子博行
 7月2日(金)~4日(日)、恒例のOMM(大阪マーチャンダイズ・マートビル)の古書ブックフェア-が行われた。今回は、「BOOKISH」でも告知を掲載した関係から、会場で「BOOKISH」の販売をさせてもらうことになった。「BOOKISH」は、3日間トータルの売り上げが25冊、規模の割にはなんとも微妙な数字ではあります。
 で、初日のお昼に、「BOOKISH」次号の特集「画家の書いたエッセイ」(仮)について、「SUMUS」同人の林さん、山本さん、扉野さんなどから、意見を頂いた。林さん、そして扉野さんは、美大出身と言うことでアート関係の本に精通しておられる。「SUMUS」の方々とは、南陀楼さんを除いては、初対面で、ちょっと緊張ぎみだったのだが、みな気さくな方々で、貴重なアイデアを頂くことが出来た。興味深い画家達の名前が、次々と挙がる。

OMMの古書市が終わった今週、地元江坂の天牛書店でちょっと面白い本を見つけた。『茅原の瓜~小説 関藤藤陰伝・青年時代』(栗谷川虹・作品社)という本で、帯に第七回内田百間文学賞受賞とある。栗谷川さんは、以前、「BOOKISH」で木山捷平特集をやった時に、お世話に
なった方で、『木山捷平の生涯』(筑摩書房)という著作がある。一昨年のちょうど今頃のこと、木山特集の件で、栗谷川さんには、幾度となく電話を通じてお話を伺った。
 こちらの稚拙な質問に対しても、ゆったり丁寧に答えて頂いた。以来、御無沙汰だったのだが、こんなところでお目にかかろうとは。懐かしさで、思わず本を手に取りレジへ。関藤藤陰(せきとうとういん)は、栗谷川さんの自宅から1.5kmほどの、天神社の社家に生まれた人物。氏の日常の散歩コースになっている場所でもある。
 その関藤藤陰のことを栗谷川さんが知ったのは、森鴎外の『伊沢蘭軒』の中にその記述を見い出してからで、散歩に通うようになって、何年も後のことだったという。それ以来、関藤藤陰について調べはじめるのだが、意外にも、幕末の歴史の中に途方もなく広がっており、幕末維新を一身に体現したような人物だったと言う。
 維新の尊王思想の支柱、頼山陽、開国時の老中主席・阿部正弘、攘夷派の後ろ楯となった徳川斉昭など、みなその役割を演ずるのに、藤陰の手を借りていたという。さらには、クナシリ・エトロフ・カラフト南部まで踏査した探検家の顔まであるこのような大きな仕事をした人物でありながら、世間的には殆ど知られておらず、歴史の闇に忘れ去られた人物になったという。
 というのも、生涯七度にわたって名前を変えており、役割が変わるごとに新たな名前で登場してくる。そのことにっよって断片化された事実のみが残り、同一人物としてのトータルな像が見えにくくなってしまったという。
 この本では、「青年時代」ということわりが付されているように、頼山陽の愛弟子時代についての記述がメインになっている。これだけでも完結した史伝小説として十分面白いのだが、今後、阿部正弘や徳川斉昭との関わりや、北方の探検時代についても続けて刊行してほしいものだ。

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by sedoro | 2005-11-03 23:12 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第8回 八子博行
久しぶりに競馬でダービーを当ててしまった。
熱心な競馬ファンではないので、G1の大きなレースをたまに楽しみで買うという程度なのだが、それでも、ここ十年ほど馬券をとった記憶はないのだから、ハルウララも真っ青。それにしても、ダービーを勝ったキングカメハメハの強かったこと、久々の怪物です。なんといっても、その強さ、風格と、チープな馬名とのアンバランスが絶妙で、心くすぐられる。で、その配当金を懐に、
「アンダーグラウンド・ブックカフェ」に行こうと考えたのだが、あいにく、その前日12日に店に予約が入ってしまった。しかも深夜から朝方までという、徹夜のイベント。(残念)

『BOOKISH』7号が、刷り上がってきた、表紙のカラーは毎回迷うところだが、今回は、青系でと決めていた。うちの店の白熱灯の下だとイメージ通りの仕上がりなのだが、蛍光灯の下で見ると、ちょっと鮮やかすぎてイメージとは違う。難しいもんです。
13日からの『アンダーグラウンド・ブックカフェ』で、売って頂けることになった、それが初お目見えということになる。(買ってください)

ところで、7月(3日~11日)にうちの店で、お馴染みの貸本喫茶『ちょうちょぼっこ』による古本バザーをやることになった。「食」関係の本を中心にと いうことで、『 book is deliciouce』というタイトルのイベント。今回は私も、古本を出そうということで、「食」関係の本に目を向けている。なもんで、『ロッパの悲食記』(古川緑波・ちくま文庫)や『食物漫遊記』(種村季弘・ちくま文庫)、そして『もの食う話』(文芸春秋編・文春文庫)といったアンソロジーに目を通す。それにしてもロッパの食うことへの渇望の凄いこと。ただでさえ、「食」=「命」の人が、戦時中の食べ物の不足した時代に生きることが、どれほど過酷なものであることか。『悲食記』たる所以である。それはそうなのであるが、それにしても、実にうまく好物のありかを見つけてくる、物のなかったあの時代に。 食べ物に対する、嗅覚というのか強烈な思いが、食べ物を次々と引き寄せるとしか言いようがない。「強く願えば夢は叶う」、というような最近流行の自己実現のためのお題目が、ロッパの例を見ていると、俄然リアリティを帯びてくる。私などはどちらかというと、「物欲」の方が勝っていて、欲しい物を手に入れるためなら、「食」の方は二の次三の次になってしまう。とはいうものの、そこそこは「食」の楽しみも享受したいわけで、そのあたり、あれもこれもと、根がいぢ汚くできている。だから、川本三郎さんのように、「食」はあくまでも街歩きとセットで、見知らぬ小さな街を歩き廻った後、その土地に溶け込んだような古い居酒屋の暖簾をくぐり、なんということのないアテで喉の乾きを潤すというのが、絶妙のスタンスのように思う。

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by sedoro | 2005-10-30 16:51 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第7回 ~腰痛と編集~ 
久しぶりに腰痛に見舞われている。
もともと、腰痛持ちで、一度ギクッと行くと一週間程寝たきりの状態になる。ひどい時は、3~4ヶ月に一度くらいの頻度でそんな腰痛に見舞われていた。ここ1~2年は随分調子が良くて、腰痛のつらさもすっかり忘れていた。そんな時に、突如襲われた腰痛だった。
 ただ、今回は、ギクッと行く手前で踏ん張っていて、最後の一線はかろうじて阻止しているという状態。おかげで、寝込むことはないのだが、その分、なかなか完治しない。
 先日も、東京から、本メルマガにも連載中の南陀楼綾繁氏が来版され、うちに店にも立ち寄って頂いたのだが、その時も、椅子に座るのが怖くて立ったままの状態で、飲んだりしゃべったりという、変な飲み会になってしまった。

 そんなこんなで、雑誌の編集も滞りがちで、早くから原稿を頂いているライターの皆さんには、ご迷惑をおかけしてしまった。さて、その『BOOKISH』の7号だが、「書店の記憶」という特集タイトルで、今月下旬か来月初旬には書店に並ぶ予定だ。
 今回の特集では、タイトルにもあるように、現在の書店の姿は勿論、過去の書店にも目を向けたかった。大げさにいうと、書店の文化史のようなものを辿ってみたいという。
 同時に文化と人が交差する空間としての書店というものを考えてみたかった。つまりサロンとしての書店空間である。そのためには、書物史における書店の展開をなぞるだけではなく、具体的に個々の書店や人が見えてこないと、単なる一般教養的なお勉強になってしまう。
 この辺りを程よくバランスをとるのが、駆け出し編集者にはつらいところで、決定的に情報が不足している。となると、いろんな人の知恵を借りるしかないわけで、今回もたくさんの方のお世話になった。

 で、今回の特集を簡単に紹介してみたい。
まず、出版・取り次ぎ・書店という本に関わる様々な仕事が、未分化で緩やかに統一されていた時代の書店の魅力的な相貌を、イギリスと日本を例に解き明かしてもらった。
 書店は、文化と人が出会う場所でもあった、これは挙げていくときりがないと思われるのだが、とりあえず、「内田魯庵と丸善」「魯迅と内山書店」「斎藤昌三と東京堂」「波屋と同人誌『辻馬車』」に代表してもらった。
 同時に、ごく普通の人がある書店と出会い、一気に本の世界にのめり込んでいくことがある、そんな個人的書店体験を何人かの人に語ってもらっている。
 また、正統の書店史からは外れながらも、もう一つの読書空間を形成してきた貸本屋をはじめとする、いわゆる「赤本」を提供してきた夜店などアウトサイドに位置する書店も視野におさめたかった。
 そして、現在の書店に目を向けると、出版不況や活字離れなど、景気の悪さばかりが喧伝される昨今、一方において新たなコンセプトで立ち上がり、面白い展開を見せている書店もあるわけで、そんな知られざるユニーク書店をレポートしてもらった。

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1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
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季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に。
by sedoro | 2005-10-26 12:15 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第6回 藤森良蔵と「考え方研究社」 八子博行
この4月からひょんなことから、近くの短大で非常勤講師を勤めることになった。小学校教師を20年少し勤めた関係で、小学校教職員免許の取得のために必要な算数教育関係の講議を受け持つことになった。というより、なってしまったと言う方がいいだろう。既に、教師を辞めて8年、教育などと言う分野については、ほとんど関心を持つことはなかった、というか遠い世界の出来事になってしまっていた。それが、今回の件で、またもや、算数と言う教科についてのネタの仕込みに追われることになってしまった。店もあるし、雑誌も出さなければならない、そこへ持ってきて今回の話。ほとんど、頭のなかはパンク状態、実にやばい。
    
今、現在の私が、算数という教科を興味深く研究できるのは、一体、どんな分野、どんな領域なんだろう。やるからには、それなりのモチベーションを持ちたい。と、いろいろ考えを巡らせるなかで、ふと思い出したのが藤森良蔵のことだ。藤森良蔵は、第一次大戦から第二次大戦にかけて、高等学校や専門学校を受験したことのある人ならたいてい知っていると言われる、受験数学の分野において著名な人物である。確か小島政二郎の「鴎外・荷風・万太郎」にもこの人のことに触れた一節があったように思う。

そんなこともあって、「かわりだねの科学者たち」(板倉聖宣・仮説社)という本を手にとった。とりあえず、藤森良蔵という人物のアウトラインを知りたかったのである。この本を讀んでみて、彼の数学教育の革新性などについては、具体的な内容は分からなかったものの、「反骨の受験屋」としての生き方や、彼が主催した「考え方研究社」の活動は、予想通り、興味をかき立てられるものだった。彼は、明治15年(1882年)、長野県上諏訪に生まれた。明治期に青春を過ごした人物によく見られる、反骨の国士気分といった雰囲気を彼も持っていたようだが、国のためではなく、受験生のために命を賭けた事業を展開するというのが、面白く興味深い。

それにしても、何故、受験数学なのだろう。それは、彼自身が、数学が苦手で困り抜いた経験が大きかったようだ。東京物理学校(現・東京理科大学)という、入るより出る方が難しいとされていた学校での猛勉強で苦手な数学を克服すると、同じく、数学で困っている受験生を助けるために働くことを志す。彼は、学校という公の場ではなく、在野の立場で、より受験生に密着した受験現場に身を置いて活動を展開した。そのために設立されたのが、「考え方研究社」だ。「考え方研究社」では、彼の教育理念である「考え方主義」を体現・宣伝するための雑誌「考え方」や受験参考書を発行したり、受験生のための公開講座「日土講習会」を催したりした。戦後の旺文社を思わせるような活動だ。しかし、彼は、単なる受験屋ではなかった。反骨の人であり、創意・工夫の人なのであった。

いずれにしても、建て前の上の主流である学校の優れた教師だけにスポットを当てるのではなく、すぐれた受験指導者である藤森良蔵のような人の仕事もきちっと射程に入れ評価しようとするこの本の著者、板倉聖宣氏の姿勢には大きな共感を覚える。しかし、藤森良蔵の受験参考書の名著の数々、手に入るのだろうか。

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プロフィール
八子博行(やこ・ひろゆき)
1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に。
by sedoro | 2005-10-20 23:22 | 通天閣の見える街から
通天閣の見える街から 第5回  八子博行
~大阪の二つの旬のスポットが本に~

2月28日に本メルマガにも連載を寄せておられる、南陀楼綾繁こと河上進さんが来阪し、「飛田百番」という料理屋で飲み会が持たれた。「飛田百番」というのは、大阪でもそして全国でも珍しいのではないかと思うのだが、まさにバリバリ現役の遊郭・飛田新地にある。(なもんで、新地に入ると「飛田百番」に着くまで、あちこちの茶屋からお誘いの声がかかる)

大阪には、この飛田新地のほか九条に松島遊郭があり、こちらも現役だが、この飛田新地はスケールや活気という点で松島を圧倒しているようだ。「飛田百番」は、かっての遊郭建築をそのまま使って料理屋として営業しており、大阪名物の一つといってもいいだろう。

その「飛田百番」での飲み会でのこと、丁度私たちが使っていた前の部屋で飲んでいたのが、『飛田百番』(橋爪紳也監修・創元社)という写真集を出版したばかりのフリーの編集者・原章さん一行だった。しかも、『飛田百番』出版のお祝い会だったらしい。原さんは、もと創元社で活躍
され、海野弘さんの『モダンシティふたたび』や、北尾鐐之助『近代大阪』の復刻を手がけた人だ。『BOOKISH』も、4号『海野弘が歩いたモダンシティ』では、原さんに随分御世話になった。

さて、その写真集だが、飛田新地の中でも遊郭建築として一際威容を誇る、『飛田百番』の姿を8ヶ月かけて、休日である月曜日に撮影を行なったもので、現在、照明として使われている蛍光灯を全部はずし、当時使われていたタングステンライトにつけかえ撮影されたらしい。また、この本を企画した橋爪紳也さんと吉里忠史さんは、「百番を愛する会」という私設応援団のような飲み会を行なっている方々で、『百番』内部の細部に至るまで紹介は行き届いている。私は、今回の飲み会を含めて、まだ二回しか『百番』を訪れたことはないが、この一冊があれば、『百番』の楽しみ方がぐっと広がるようで、次に訪れるのを心待ちにしているところだ。

そして、もう一冊、原さんの関わった本で、同じ頃刊行された、『大阪・新・長屋暮らしのすすめ』(橋爪紳也・創元社)こちらも大阪の旬の話題を取り込んだ一冊。

今、大阪では、空堀や中崎町など、古い長屋が残っている街で、長屋を改装してカフェやギャラリー、古着や雑貨を売る店などが出来て、訪れる人たちを楽しませている。

この本でも紹介されている中崎町で「Salon De AMANto 天人」というカフェをやっているJUN君は、かってうちの店にもよく来てくれていたのだが、3年ほど前に、一人で長屋の改装をはじめ、「空きや再生パフォーマンス」と名づけ、改装の過程を公開し、延べ1129人のひとに手伝ってもらいカフェをオープンした。

彼なんかの例を見ていると、経済の地盤沈下が叫ばれる大阪だからこそ、既存のストックを利用しつつ、低予算でやりたいことができるという、若者たちにとっては、結構、いい状況が生まれつつあるのでは、などと考えたりもする。

ところで、大阪の長屋だが大正期の調査によると、東京や京都が、同じ借家でも一戸建ての独立家屋が過半数を占めいていたのに対し、大阪の場合、大半は長屋形式だったという。

ただ、大阪の長屋は、裏長屋の狭いイメージではなく、一戸一戸の規模が大きく、他の都市の町屋に匹敵するものが結構多いらしい。

どおりで、前述のJUN君の「Salon De AMANto 天人」などは、随分、広々としていて長屋のイメージにそぐわないのに驚いた記憶がある。

いずれにしても、大阪で今、一番おもしろい二つのスポットを本にパックしてしまった原さん、やっぱり感度のいい編集者なんだと思う。

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八子博行(やこ・ひろゆき)
1950年大阪生まれ。
小学校教師を20年続けた後、関大前で「ゲートマウス・カフェ」という飲食店を経営。
(ゆくゆくは古本も置きたいという)
季刊雑誌『BOOKISH』の創刊に参加、4号から編集・発行人に。
by sedoro | 2005-10-18 01:00 | 通天閣の見える街から