人気ブログランキング | 話題のタグを見る

古本バイト道 ーこんなアタシに誰がしたー 第19回 シュールクローク 濱野奈美子

 前回、お休みさせていただきました理由が「多忙につき」でした。多忙…多忙…一回言ってみたいもんだ。と、いうわけで「多忙」ではありませんでした。 正しくは祖父が亡くなったので忌引きだったんです。

 7月4日の「古書現世店番日記」(http://d.hatena.ne.jp/sedoro/20050704)にもメルマガの編集長が書かれていましたが、私が資料会のテープ貼りを始めたときの主任は、三鷹にあった「無暦堂」さんでした。でも、無暦さん(そう呼んでました)ももういません。とっても穏やかな人で、右も左もわからない私に気を使ってくれました。リクエストされて「アジアの純真」を歌ったことがあったなぁ。だから、無暦さんを思い出すと、アジアの純真がもれなくついてくる。生きているといろんな人とお別れしてい かなきゃならないのは仕方ないけど、残ったもんが精一杯生きるくらいでしか供養できないです。

 しんみりしてしまいましたが、こっから先はぜんぜん違う話です。
 先日、一緒に古書会館でアルバイトをしているMにすごい話を聞きました。

 神田の古書会館の展覧会のクローク係は「会のバイト」(バイトの違いについては3月10日号参照)の仕事です。会のバイトは金曜日が4人くらい、土曜日が2人くらい(会によって変動あり)です。1人の人がずっとクローク、ずっと帳場というわけではなく、1日の間に、クロークやったり帳場をやったり人 が動くのですが、ある日、怪現象が起こりました。
 その日Mは、帳場からクロークに移ってきました。そしていつものようにお客さんから番号札を預かり、バッグを見つけました。何の変哲もない黒いナイロンバッグが番号札をつけて横になっておりました。バッグ自体にはどこにも問題はなかったのです。問題は、そのバッグの上に、真っ白いカラ付きのゆで卵と真っ白いさらさらの塩が鎮座ましましていたことです。
 みなさん、ビジュアルの想像力をたくましくしてくださいね。「黒いナイロンバッグの上の卵と塩」。素敵なシュールレアリズム絵画の完成です。ダリに負けないくらい。
 さて、Mは考えました。「これもこのお客さんの荷物なんだろうか?」。今までもさまざまな不思議なモノを預かった経験があります(それについてはまた機会があったら書きます)。その経験が彼女にひとつの決断をさせました。そのままの状態でお客さんに差し出すことにしました。
「?!」だったのは、お客さんのほうです。「これは違います」と動揺を押し隠しながらおっしゃったそうです。「これは違います」…自分のバッグの上にのった卵と塩というナイスな画像を目の前にしたら、それだけ言えれば十分でしょう。心中お察しします。
 結局、卵は持ち主不明のまま、閉館時間までクロークに残されてしまいました。そして、さらにシュールなことにMは、その卵をクロークの机の引き出しにこっそりしまったそうです。その後のことは…ご想像にお任せします。あんまり気持ちのいい話じゃないですから。本当に生きてるといろんなことがある。い や、こんなことはそうはないですけど、ね。

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

-------------------------------------
プロフィール
濱野奈美子(はまの・なみこ)
フリーライター。長い古本バイト経験を生かして『アミューズ』の古本特集や
『古本 神田神保町ガイド』(共に毎日新聞社)などで活躍する。本業のライ
ターでは古本だけではなく、サッカー、食べ物なども。なんでも来い。
# by sedoro | 2006-01-22 17:46 | 古本バイト道

男のまんが道 第6回 昭和の男の顔~あすなひろし『哀しい人々』  荻原魚雷

 あすなひろし(一九四一年~二〇〇一年)は、いわゆる「漫画家がほれる漫画家」である。すごく売れた作品はないが、ものすごく愛される作品をいくつも残した。
 で、今回紹介するのは『哀しい人々』(全三巻、朝日ソノラマ)という短篇マンガ集。

 「とても、心さびしく」という話は、会社がつぶれ、女房子どもに逃げられて首をつろうとしているしょぼくれたおっさんを助けたある男が、そのおっさんのなけなしの金で馬券を買わせ、万馬券を当てる。男はその金でバーに飲みにいき、おっさんが酔っぱらっているあいだに金を持ち逃げ、店で知り合った素性のわからない女とねんごろになり、「これだけ金があればダンプが買えるぜ。おれまじめに働くぜ」と告白する。
 ところが、女のところにヤクザ風の男がのりこんできて、ボコボコにされ、あり金すべてとられてしまう。
 このときの男のせりふがたまらない。
「……ということか結局。」

 この短編集におさめられた作品はほとんど救いのない話ばかりである。みんなだめ、みんな不幸。しかし、美しい。まさに哀切。
 あすなひろしの絵の力も大きいけど、それだけではない。
 登場人物がことごとく名役者なのだ。せりふから顔の角度まですべて計算しつくされた静かな演技を見ているかのようだ。
 主役格の男は、面長でまゆが濃くほりの深い、やや三島由紀夫似の顔である。体格もいい。そして、あるときは刑事、あるときは結婚詐欺師、あるときはトラックの運転手、サラリーマン、老人、野球選手……と、さまざまな職業、年齢、設定を演じ、ときに脇役にまわることもある。
 絵のきれいなマンガ家はたくさんいるが、これほど渋い演技をするキャラクターを描けるマンガ家はいない。
 あすなひろしは、人並に生きられぬ「哀しい人々」をすこし距離をおいてそっと見まもるように描く。
 ほんとうは少女漫画家としてのほうが有名なのかもしれないが、わたしは大人の男(おっさん)の出てくるあすな作品が大好きだ。
 あすなひろしの漫画を読んでいておもうのは、「昭和の男って大人びてたなあ」ということである。
 今の三〇代と昔の三〇代の男のちがいはなんなのか?
 表題作の「哀しい人々」という作品の信さんは、三十三歳だが、屋台でコップ酒を飲む姿が様になっている。どう見ても、三十三歳には見えない。
 で、あるとき信さんの妹の洋子が、婚約者を家にまねこうとすると、「そんな勝手な真似はさせねえ!」と座卓をドンと叩く。
 信さんと親しいおまわりさんいわく、「男っぷりも頭もいいし、学問さえあれば相当な人物になってただろうに、惜しいよなあ………」。
 若くして両親をなくした信さんは、ロクに中学も出ずに妹のために働く。仕事をするために早く大人にならなければならなかった。大人にまざって働くとなると、子供っぽいことは何の役にも立たない。
 昔の男にとっては、若々しさよりも大人っぽさのほうがものをいった。齢よりもおさなく見えることは情けないことだった。
 だが、ある時期を境に「オヤジくさい」のはよくないことになった。おっさんは罵倒語になった。
 『哀しい人々』所収の作品は一九七一年~七九年にわたって発表されている。
 八〇年代になると、あすなひろしの執筆ペースはぐっと落ち、一九八三年の
『白い記憶』(朝日ソノラマ)を最後に単行本が出なくなる(愛蔵版、アンソロジーをのぞく)。
 一九八三年といえば、新人類、おたく(族)が登場しはじめたころである。

 世の中が豊かになって、苦労人の男はドラマの主役をはれなくなってしまった。……ということか結局。

(追記)
 『哀しい人々』は今ちょっと入手難のマンガ(というか、あすなひろしの単行本はいずれもそう)なのだが、その中の「童話ソクラテスの殺人」「亭主泥棒」「けさらんぱさらん」「かわいいおんな」「ラメのスウちゃん」「幻のローズマリィ」は昨年刊行された『いつも春のよう』(エンターブレイン)におさめられている。とくに「ラメのスウちゃん」は鳥肌が立つくらいの傑作。ぜひ読んでほしい。 あとさくら出版(漫画原稿流出事件で有名になった出版社)から『愛蔵版 家族日誌 哀しい人々 1』という本も出たが、会社倒産のため、続刊は出ていない。

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

------------------------------------
プロフィール
荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『借家と古本』(スムース文庫)、
編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)がある。
今月から晶文社ワンダーランド(http://www.shobunsha.co.jp/)でエッセイの連載
をはじめました。
# by sedoro | 2006-01-22 17:43 | 男のまんが道

早稲田の文人たち 第26回  まだ続くむだ話〈その2〉 松本八郎

●『早稲田文学』に寄稿した意外な人たち(1)森鴎外、そして……  

鴎外と逍遥の有名な「没理想論争」は、文学科創設の翌年に、これも逍遥が自ら創刊した『早稲田文学』第1号(1891年10月)に「シェークスピヤ脚本評注」を書いたことで、鴎外も自らの雑誌『しがらみ草紙』(1891年12月)に、その異議を唱えて「早稲田文学の没理想」と題して起った論争である。
 この論争は翌年までつづき、明治25(1892)年4月発行の『早稲田文学』誌上で、3歳年上の逍遥の方から「鴎外先生 硯北」と記して「論戦中止」を申し入れし、停戦となった。しかし、その論争の始まりとなる『早稲田文学』創刊の翌月から、鴎外は『早稲田文学』誌上に「シルレル伝」の連載を始めている。

 ここで緊急事態発生のため、話は、とつぜん飛ぶ。
 途中何回か休刊を繰り返したとはいえ、この『早稲田文学』は、雑誌としても114年間という最長記録を更新中で、わが国でもっとも伝統ある文芸雑誌である。
 その『早稲田文学』が、先月号の発行をもって従来の文芸雑誌としての体裁を放棄し、たぶん今月か来月あたりから、駅やコンビニでフリーペーパーとして無料配布されるというのである。
 エッ? ナンダヨ、ソレ! って感じであるが、「読まれない、売れない」から、そんならいっそ、タダにしてしまえ! という話なのだろう。

 まあ、時代の趨勢としては、そういうことなのだろう。
 昔から文芸誌なんてのは儲かるものではないのに、『太陽の季節』がバカ売れしたり、その後も『限りなく透明なブルー』が世間の話題になったあたりから、版元が売れ筋を演出するために「新人賞」を連発したりして、「ほんとうの小説好き」からソッポを向かれてしまった。これが文芸誌(および小説)の、そもそもの凋落の始まりである。
 それと、いつの頃からか、やたら小難しくひねくり回した文芸評論が幅をきかせ、ポストモダンやナンやらカンやら、外国からの受け売り評論が誌上で玩ばれたのと、そこに書かれた日本文が、ふつうの日本人の読者にはまったく読解不能のシロモノ。これじゃあ誰も見向きしなくなるのも当然で、とりわけ「ことばや文章を楽しみたい」という、いちばんのお得意さんが、文芸誌から完全離脱してしまった。

 今回、『早稲田文学』の「第二次」(明治39年―昭和2年)の「意外な寄稿者たち」を書こうとしたのだが、この「第二次」の最後の方(本間久雄が編集長の頃)は、やはり「小説好きの読者」から見放され、「小説好きの作家」たちも『早稲田文学』から離れていった、という歴史(?)がある。
 この時は、若い早稲田派の作家たちが奮起して、昭和時代の新しい幕開けをもたらしたが、今回もその歴史が繰り返されて、このフリーペーパーが、21世紀の幕開けをもたらす救世主となるのであろうか? ハテ? サテ? ???……。

(つづく)

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

-------------------------------------
プロフィール
松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら
れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行
して話題に。「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ http://www.edi-net.com/
# by sedoro | 2006-01-22 17:39 | 早稲田の文人たち

早稲田で読む・早稲田で飲む 第24回 非日常の風景を走る路面電車  南陀楼綾繁

 グランド坂を降りて、新目白通りに出ると、左側に路面電車のホームが見える。都電荒川線の終点・早稲田駅だ。コレが都内に残る唯一の都電というコトは知っていたし、いつか乗ってみようとは思っていた。でも、そもそも新目白通りの辺りを歩くこと自体がめったになかったし、この路線を利用する友人もいなかったので、在学中は乗ったコトがないと思う。

 いや、いつだったか、一度だけ乗ったような気もするな。家が密集する真ん中を電車が走っているのがオモシロかったが、いまドコを走っているのかがゼンゼン判らなかった。当時は、中央線の西荻窪に住んでいたので、ルートがよく理解できなかったのだ。三ノ輪行き? ドコそれ、というカンジだった。余談だが、1980年代半ばにやっていた『天才たけしの元気が出るテレビ』という番組で、さびれた商店街にテコ入れする企画をやっていた。最初に荒川線に乗ったとき、商店街の看板にその番組のロゴが大きく使われていたのを、車窓から見た。あれは、熊野前の商店街だったらしい。

 ほかにも、王子や大塚に行ったときにも、JRの駅に隣接して荒川線のホームがあるのを見ていたが、これが早稲田につながっていると認識していなかった。その後、東京の東側の谷中や西日暮里に住むようになり、三ノ輪にもよく行くようになると、荒川線がどう走っているかがようやく判ってきた。ごく大ざっぱに云えば、山手線の外側を大きく回りこむように西から東へと走っているのだ。

ある日、早稲田の図書館で調べものをして、古本屋を覗いたあと、いつもと違うコースで帰りたくなった。そこで、都電荒川線の早稲田駅に向かう。すでにホームには十数人が待っている。運賃はバスと同じで前払い。全線均一で160円は安い。発車して30秒も経たないうちに、次の面影橋に着く。この先を右に曲がるのだが、まだ何本も都電が残っていた頃(昭和40年代)には、左に曲がって高田馬場に向かうルートもあった。前者(いまの荒川線)は32系統、後者は15系統である。

雑司が谷の駅近くで、ボロボロの家を見つけた。至近距離を通過するので、崩れかけたその家の細部まで丸見えで迫力がある。現実の風景のなかに、いきなりシュールな芸術作品が登場したようだ。この線に毎日乗っているヒトには慣れっこだろうけど。そのあと、向原、大塚、巣鴨新田、新庚申塚と進むと、車内は満員に。西ヶ原四丁目でドヤドヤと乗り込んできたガラの悪い女子高生たちは、大きな声でおセックスのハナシをし、あまつさえ性病について論じていた。コレもまた非日常的な光景に見えるのだが、常連のおばさんたちは無関心に、自分たちの会話に熱中している。

 王子駅前を過ぎると、荒川区に入り、梶原、荒川車庫前、荒川遊園地前と、荒川区民であるぼくも来たことのないディープなエリアを走っていく。次の小台は「おだい」と読む。早稲田行きのバスでいつも「オダイ方面は乗り換えです」というアナウンスが入るのだが、やっと今日、この小台だと判りました。そして、町屋を通過して、終点の三ノ輪橋へ。

 ホームを降りて、すぐ隣は「ジョイフル三ノ輪」という商店街。ときどき買う餃子屋で、ナマの餃子をふたつ買った。今日の晩飯にしよう。交差点をわたり、4時過ぎから開いている〈中里〉という居酒屋で、一杯だけチューハイを飲む。それからバスに乗って、西日暮里まで帰ってきた。

 なんとも酔狂な遠回りコースだったが、とても楽しかった。そして、最近では都電荒川線の沿線に住むのもオモシロイかな、と思いはじめている。ココで生活していくウチに、この日に感じた非日常も、きっと日常の感覚になっていくのだろう。そのうち、早稲田に行くには都電で、がアタリマエになるかもしれない。

参考文献:林順信『都電が走った街 今昔2』JTB、1998年

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

-------------------------------------
プロフィール
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。現在、ライター・編集者。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、編著に「チェコのマッチラベル」(ピエブックス)がある。

▼南陀楼さんのブログ日記はこちら!
ナンダロウアヤシゲな日々  http://d.hatena.ne.jp/kawasusu
# by sedoro | 2006-01-22 17:36 | 早稲田で読む・早稲田で飲む

ぬいだ靴下はどこへ ~ハルミン・ダイアリー~ 第5回 6/1~6/8  浅生ハルミン

6月1日 激しく働く合間に

 今月に入ってから、全部合わせて43時間しか寝ていません。43÷12=3.583333333333で一日平均このくらい寝ていたら睡眠は足りてるのでは?と思われるかもしれませんが私は通常、一日12時間寝ていた女なので大丈夫なわけがありません。それでも締切りはやってきていて、今度の水曜日までに8つ、終らさないといけない仕事が!!! 仕事があるのはとても
ありがたいのですが、それでは私の妄想広場である近所の喫茶店へ行くこともできず、心はひからびて、気がつけば一日中言葉を発しなかった日数も増えており、慰めといえば猫をちょいちょい撫でたりすることぐらいしか…。
 そんなある日、ついにプツリと緊張の糸が切れた。今日は猫と同じことをして暮らすもんね! と決意、そして実行した。ふだん家の中で猫と遊ぶとき、私は猫の真似をして身体を低く構え、
物陰に隠れたかと思ったらわあっ! と飛び出たりして猫を驚かて遊ぶ。その格好をきょう一日中やってみようと思い立ち、四つ足歩行を試みた。猫、遊んでもらえるのかと思って身構える。でも私は王者の風格で悠然と猫をスルーし、よつん這いで台所までいって、冷蔵庫を開けてビールの栓を抜きコップに注いだ(そこは普通の人間)。ぐびっと飲んで、そのあと猫ならどうするか考える。そうしてまたよつん這いになり本棚の角に顎の下などこすりつけて、目の前にあった爪磨ぎをばりばりやった。猫は、なに、いったい?という顔をして遠くから見てます。だから再び、わあーっと襲うつきのわ熊みたいに立ち上がったら、猫も再びうーっと背中の毛を逆立てて興奮した。
 そのあと私はごろんと、起き上がれない黄金虫のようにお腹を出して脚をじたばたさせ、敗北宣言をして猫とのタイマンは終了した。やってみたら、よつん這いで歩くと太腿がすごく疲れるこ
とがわかった。筋肉痛になりそうだった。すぐにやめて2足歩行に戻した。それだけでなく家の中でも異界に行けるということもわかった。

6月7日 あなたは誰?(ハルミンの喫茶店隣の人に耳ダンボ)

 おねがいがあるの…うふふ。なごやんってあるじゃん、まんじゅう。それをお金送るから送ってほしいの。実家に帰るって言ってしばらく休暇をもらったからさあ、お土産もなんにもないとおかしいじゃん。しばらく喪中休暇をもらったのー。ナフコとかで5個入りとかあるから。えー、キヨスクで買うよりそっちのほうが安いのー。
 今会社どこにいってるの? えー、なんで辞めたのー、愛知県は景気いいってきいたけどー、日本でいちばん景気がいいって…えー、そうなのー。どうしようかなあ10個入りにしようかなあ。
ポッキーとかのでっかいサイズとかあるじゃん、八丁味噌とかの。あれってキヨスクとかには売ってないのー?寄るときとかあったら買ってきてくれるぅ?じゃあそれとお、なごやんとポッキーのやつ一箱。4000円くらいで足りるよね。ちょっと多めに。ポッキーのやつって1000円くらいじゃん。あまったら×××とか。送って欲しいのがあ、12か14のあいだに。ごめんね、へんなお願いをして、もうねえ、あと2、3年休みたい!
 今まであい間なく彼氏がいたけどさあ、今いないのはそれまで何も考えなくて付き合えたからでさあ、今もうそんなことできないもん。もう若いって言われる年じゃないもん、25なんてさあ。
いいじゃん、××ちゃんはまだまだじゃん。いいなあ。


6月8日 隣も本屋

 文芸雑誌『海』のバックナンバーを買いに、方南町の古本屋さんまで行く。お店はアパートの一階にあって、「看板がなくて、入り口のシャッターが半分閉まっていますから」とあらかじめ教
わったので心して向かう。駅からずんずん歩いて住宅街に入り込むと、それらしきアパートが見えてきて、おっしゃるとおりシャッターが半分降りた一軒があった。かがんで覗いてみると、段ボ
ールがたくさん積んで置いてある。若い男の人がひとりで荷ほどきをしている。段ボールには雑誌の束がごっそり入ってるのが見えている。きっとここだわと思い、シャッターをくぐって「こんにちは、浅生といいますが、ここは古本屋さんですよね…」と尋ねたら、「違います」と憮然と言われてしまいました。あれ?じゃあこの雑誌の山は?と見れば、「猥褻奥様」とかいう赤い文字が激しく印刷してある写真の本だった。あわててシャッターをくぐり直した。古本屋さんはもう一軒お隣だったのでした。

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html
※感想はコメント欄へ。ただし返答はしておりません。ご了承ください。

-------------------------------------
プロフィール
浅生ハルミン(あさお・はるみん)
イラストレーター。『彷書月刊』にて「ハルミン&ナリコの読書クラブ」を連載中。著書に『私は猫ストーカー』(洋泉社)がある。
浅生ハルミンのブログ 「『私は猫ストーカー』passage」公開中!
http://kikitodd.exblog.jp/
# by sedoro | 2006-01-22 17:30 | ぬいだ靴下はどこへ