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男のまんが道 第4回 男は黙って平八郎~『野球狂の詩』 荻原魚雷

 4月、プロ野球開幕。野球マンガといえば、水島新司でしょう。というわけで、『野球狂の詩』(講談社漫画文庫その他)である。
 この作品は「にょほほほ~」の岩田鉄五郎やプロ野球女性第一号選手の水原勇気が有名だが、わたしは水島新司と里中満智子の共作(第17話「ウォッス10番」、第20話「ガッツ10番」、第26話「スラッガー10番」)の富樫平八郎に「男の人生」を見る。

 中学時代、地元を代表するエースだった富樫平八郎は新潟西校に進んだ。しかし同じ高校に県ナンバー1投手の日下部了も入学してくる。
 富樫の家は魚屋で、父親は重い病(癌)を患っていて、平八郎には幼い弟妹がたくさんいて、母親からは「野球なんかやめて店をついでよ」と泣きつかれる。
 平八郎は店を手伝いながら、黙々と練習に励む。背番号は10番。日下部の活躍の陰にかくれ、出番はまったくまわってこない。でも愚痴ひとつこぼさない。
 そんな平八郎に恋するヒロイン(花屋の娘・夕子)を里中満智子が担当。水島新司と里中満智子のキャラクターがおりなす不協和音……じゃなかった、ラブストーリーもこの富樫シリーズの読みどころのひとつだ。

 話はそれるけど、「新潟、魚屋、貧乏」とくれば、水島新司の傑作短篇『出刃とバット』の佐倉新吉のことを忘れてはなりません。新吉も新潟の貧しい魚屋のせがれで、中学時代はチームでいちばんのチビだが4番打者だった。しかし家が貧しく高校に進学できず、新吉は野球をあきらめる。その新吉が「たった一度だけでいい。おれは野球の力を試してみるんだ。もしだめだったらその時は、出刃で生きようというつもりだった--」と家を出て、プロテストを受ける。
 これがいい話なんだ。泣ける話なんだ。

 じつは水島新司も新潟の出身で家は魚屋なのである。『名作MANGA選集 出刃とバット』(翔泳社)のあとがきで、水島新司はこう回想している。

「私の実家は魚屋で、少年の頃から家業を手伝い、将来は兄貴と一緒に親爺の後を継ぐと育ってきた。大きくなるにつれ、魚屋以外のいろいろな夢が、私の中でふくらんでいった。中でも『プロ野球選手』は、一番の夢であった。(中略)しかし、家庭の事情はバットを持つことを許さなかった。出刃を持たざるを得なかった。中学を卒業し、“出刃”の本格人生が始まった。忙しい毎日の中で、野球を楽しむ時間などもちろんない。--ちょっとした暇を見つけては、好きな漫画を描くのが唯一の楽しみになっていた」

 話は『野球狂の詩』にもどる。

 高校野球新潟県予選決勝。9回2アウト満塁カウント2-3。前の打者の打球を足に打球を受けていた日下部はそこで倒れる。いよいよ富樫平八郎の登場だ。

 その後、エース日下部はプロ入りを拒否し、早稲田大学に進学。富樫は東京メッツに3位で指名される。県予選決勝で投げた「一球」を東京メッツの岩田鉄五郎はスタンドで見ていたのである。
 だがメッツ入団後、富樫はぱっとしないまま二軍生活を送り、一方、夕子は看護婦になり、病床の富樫の父の面倒をみながら、彼を応援しつづける。

 4年後、大学で次々と記録をぬりかえる活躍をした日下部は東京メッツに1位で入団し、そのころようやく富樫も一軍に昇格。ふたたび、日下部、富樫のライバル対決がはじまるかとおもいきや、富樫は練習のしすぎで悪性の腱鞘炎になってしまう。
 看護婦の夕子はそのことに気づいているのだが、「愛する人のすすみたい道をじゃましないのが‥‥ 愛‥‥」
 と、ひたすら富樫を見守るのみ。はたして逆境の男・平八郎は夕子の一途な愛にこたえることができるのか?

 結局、富樫は一軍のピッチャーとしては通用せず、再び二軍におちる。
 そこで打者に転向し、「スラッガー10番」として復活する。
 53歳の現役投手岩田鉄五郎といい、富樫平八郎といい、野球狂の男たちは簡単に夢をあきらめないのだ。

 とはいえ、あきらめないことも大切だが、続けりゃいいってものでもない。

 水島新司は『野球狂の詩』の続編(『野球狂の詩 平成編』と『新・野球狂の詩』講談社)を描くのだが、はっきりいって「殿、ご乱心」状態……。

 男は引き際も肝心なのだ。

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プロフィール
荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『借家と古本』(スムース文庫)、
編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)がある。
今月から晶文社ワンダーランド(http://www.shobunsha.co.jp/)でエッセイの連載
をはじめました。
# by sedoro | 2005-11-29 12:40 | 男のまんが道

早稲田の文人たち 第24回 まだ中休み中のむだ話〈その4〉  松本八郎

●次回の新紙幣の顔は?  

 ところが7年ほど経つと、またしても「夏目漱石千円札」の「褐色」の「記番号」だけが残り少なくなってしまい、2000年4月に、こんどは刷り色を「暗緑色」に変えて発行することとなった
【これが漱石さんの4種類目】。

 その翌年の2001年、政府は省庁再編を行い、大蔵省は財務省と名前を変えたため、それに伴って大蔵省印刷局は財務省印刷局となった。お札は日本銀行が発行しているが、印刷は大蔵省(財務省)管轄の印刷局が請負っている。
 そのため、お札の表面の下に小さく「大蔵省印刷局製造」と書かれている「銘版」が、2001年5月14日発行のものから「財務省印刷局製造」と書き改められた【これが漱石さんの5種類目】。
 その2年後、各省庁の外郭団体は各々独立、自立した法人化が図られ、硬貨を製造している「財務省造幣局」は「独立行政法人 造幣局」となり、「財務省印刷局」は「同 国立印刷局」と
なった。そのため再び「銘版」が書き換えられ、2003年7月1日発行のものから「国立印刷局製造」と書き改められた。むろん「福沢諭吉壱万円札」「新渡戸稲造五千円札」「夏目漱石千円札」の「D券」のすべてに、である【これが漱石さんの6種類目】。

 モトイ。「「D券」のすべて」というのは、間違いである。普段ぜんぜん見かけたことがないものだから、ついつい「守礼門弐千円札」のことをすっかり忘れていた。
 沖縄サミットの2000年7月19日に発行されたこのお札は、発行当初はともかくとして、その後は誰も見向きしなくなり、現在に至るも「大蔵省印刷局製造」の「銘版」で、「記番号」も「黒色」のまま、まだ大量の「守礼門弐千円札」が日銀の金庫で眠っている。
 もともとこの二千円札は、アメリカ独立200周年の時(1976年)の「200ドル記念紙幣」から思いついたもので、だからこれは、もう端から「ミレニアム記念紙幣」のようなものであった。早大出身の、故小渕恵三首相の置土産である。

 でもまあ、小渕さん、よかったね。お札の「顔」を「守礼門」にしておいて。
 発行時には沖縄の人々に喜ばれたし、発行枚数が少ないので、いずれ遠い将来「紙幣マニア」には垂涎の的になるかもしれないし……。
 これが「大隈重信弐千円札」だったら、たいへんだったよね。大隈侯の銅像をシンボルタワーとする早稲田古本村の住民をはじめ、膨大な数の早大出身者のすべてに、赤っ恥をかかせることになったもンね~。
 ところで、今回の新紙幣「E券」には、残念ながら(?)早稲田から誰も選ばれなかったが、次の「F券」には、早稲田ゆかりの有力候補者がいる、というのが最近わかった。
 その答えは、池谷伊佐夫さんの『神保町の蟲――新東京古書店グラフィティ』(東京書籍・2004年11月9日発行)に書かれている。知りたい方は、池谷さんの印税収入のこともあるので、是非、この本は新刊書店でお買い求めいただきたい。

(この項、おわり)

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プロフィール
松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら
れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行
して話題に。「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ http://www.edi-net.com/
# by sedoro | 2005-11-29 12:36 | 早稲田の文人たち

早稲田で読む・早稲田で飲む 第23回 早稲田の細道 南陀楼綾繁

 早稲田についての連載なのに、数ヶ月ほど、この辺りに足を運ぶ機会がなかった。ちょうど、ヨメから万歩計をプレゼント(アンド強制装着)されたコトだし、久しぶりに散歩してみよう。

 今日歩くのは、早稲田大学周辺の裏道だ。早稲田には、早稲田通りや南門通りなどの大きな道のほかに、大学の外壁に沿うカタチで伸びている細い道が、意外とたくさんあるのだ。それらの道は、学生が近道することもあって、大通りに較べて、どことなく学生生活に密着しているように思われる。

 まずは、東門を出てすぐ左に入る道。大隈通りを通るより、こっちの方が早くグランド坂に抜けられる。一号館地下にあったサークルの部室から、いつもの安飲み屋〈いこい〉に行くときは、いつもこの道だった。隣は観音寺という寺と墓地。ココのお堂は、巨大ロボットが横倒しになったみたいな、奇怪なカタチをしている。在学中にはこんなのナカッタ。1990年代に石山修武がつくったという。例のガウディ・マンションほどではないが、かなり大胆だ。

 つぎは、西門から左に行き、エクステンションセンターのヨコを通って、早稲田通りに出るルート。文学部の授業を終えて、本部の生協に行くときに、よくこの道を通った。しかし、大学4年生のときは、この道がイヤでイヤでしかたなかった。体育の単位を落としまくった結果、4年で相撲をやらされるハメになったのだが、その部室がこの道沿いにあったのだ。自分で招いたコトとはいえ、なんで4年で体育、しかも、なんで相撲なのかと、ユーウツになったのだった。いやあ、
あのときは暗かったなあ……。

 エクステンションセンターの前を、さらに細い道があり、そこを入ってみる。こんな道、あったっけなあ? 突き当たったトコロに、〈布施館〉という男子学生用の下宿があった。いまでも二食付きの下宿が健在だとは。行き止まりかと思えば、その右側、マンションとマンションの間に「通路」と呼びたくなる道があった。そこから早稲田通りへ。

 細い道といえば、ほかにも、本部生協の脇からグランド坂通りに降りる石段だとか、大学いものヨコから茶屋町通り(早稲田通りに並行している)に抜ける道などを思い出す。もっとも、後者の道は安部球場の消滅と、それに伴う近辺の大規模な再開発によって、すでにない。

 ここまでは知っている道だが、今日は初めての道にもチャレンジしてみた。文学部の前にある奉仕園セミナーハウス。このヨコの道を通って、古本屋街の方面に歩いていく。大学の施設や留学生会館、公園などの大きな建物に沿って、細い道が伸びているのだが、道なりに歩いていくと、自分がどっちに向っているのか判らなくなった。やっと大きな道に出たと思ったら、また文学部前の道だった。引き返して、適当に歩いているウチに、どうやら早稲田通りに出るコトができた。ご苦労さん。

 こうして歩いてみて、まだまだ知らない道があるコトが判った。今度は地図を用意して、理工学部のほうから歩いてみようかな。万歩計も着けてることだし。

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プロフィール
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。現在、ライター・編集者。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、編著に「チェコのマッチラベル」(ピエブックス)がある。

▼南陀楼さんのブログ日記はこちら!
ナンダロウアヤシゲな日々  http://d.hatena.ne.jp/kawasusu
# by sedoro | 2005-11-29 12:33 | 早稲田で読む・早稲田で飲む

ぬいだ靴下はどこへ ~ハルミン・ダイアリー~  第4回  浅生ハルミン

3月30日 遠くのご近所散歩

 絵地図を描く仕事をいただき、手賀沼へ行く。手賀沼は千葉県我孫子市にある大きな沼です。そこを自転車で一周。レンタサイクルを手賀沼のほとりにある「鳥の博物館」で借りる手続きをする。午前11時くらいから走り始めて、各所に立ち寄って周わると4時くらいになっていた。自転車は結構必死。横風に吹かれてギアを何度も軽くする。途中で道の舗装がなくなって、田んぼの畦道を漕いだりしました。にょきにょき生え出した土筆を何本も踏みつぶした。おいしそうだったのに…。養鶏場ではとれたての卵を買いに来てる近所の人がいたし、トマト農家にも、いちご農家にも即売所があったし、釣り堀ではにじますを量り売りしていて、手賀沼を一周すると冷蔵庫が満たされそうです。蓮の群生地もあって、夏は背の高くなった蓮の葉のあいだをくぐる小さい船も出るらしかった。地元の人もあまり知らない遊びだと、我孫子マダムは言っていました。
 手賀沼公園にはミニSLが走っていて、それがガタゴトチンチーンと走ってくるのを見ていたら、わ、ミニSLなのに大人で満杯! 大人がわんさか股がったミニSLが地べたを這って向かってくる!……でもちょっと待って? それどういう団体!?と思ったら、大人、子供、大人、というふうに子供が挟まって股がって隠れて見えなかったのでした。そうですよね。。。

 手賀沼の周りを散歩するのは、私の家からは遠いのでたまにしか散歩できませんが、ふだん気分転換に歩き回るコースといえば、池尻の古書いとうから三宿の江口書店をまわって、ときどき山陽書店も覗いて高くて買えなさすぎのアンティーク屋さんをみて帰るコース。気がつくと、5000円くらい古本を買ってしまっている。ずーっと前から引っ越したいと思い続けているのに、このコースがあきらめられず、引っ越せないでいる。
 
3月31日 染丸に岡惚れ

 上野の鈴本演芸場へ、柳家権太楼、林家染丸の二人会へ行く。毎年3月と8月、年に2回の恒例の会です。5年くらいまえに、落語通のKさんに誘われて行ってから、もうもう、染丸の色っぽさにひとめ惚れをして以来、ずっと欠かさず行っている。
 今日の染丸は「浮かれの屑より」をした。仕事をしないで怠けてばかりいる居候が、長屋の空家の紙くずを選り分ける仕事をあてがわれるお話(話の内容は関西と関東では微妙に違っているみたい。落語家によっても変わるみたい。ちなみに染丸は上方の落語家)。紙くずの中から出てくる他人の恋文や本(だったっけな)を選り分けながら、それをついつい読み耽ってしまうのですが、その恋文の世界に居候が入っていってしまったり、大家さんに叱られてこっちの世界に戻ったり、妄想と現実を行き来するところがもうもうすばらしかった。「浮かれの屑より」の見どころは、高座で膝立ちして動き回るところ。着物を着た男の人が、膝をついておもしろい格好をしている。ものすごく贅沢なものを見せてもらっている気がしてきて、目頭が熱くなった。権太楼さんもすばらしかったけれど、今日の染丸の艶やかさといったらなかった。大人になってよかったと思った。

4月6日 よかったなあ

 このたび、初の単行本『私は猫ストーカー』を洋泉社さまから上梓いたしました。ありがとうございます。その献本の発送に、神保町の洋泉社へ行く。打ち合わせテーブルで宛名書きをする。私のほかにも2組、ご自分の著書に一筆添えているかたたちがいました。ひとりは焼酎の本、もう一組は沖縄音楽の本だった。書き終えて、万歳!打ち上げだ!!とばかりに編集者の方とフレンチを食す。ワインも一本空けた。飽食し、帰りの地下鉄で芸能人の結婚話をして
いたら急に気分が悪くなり、途中で電車を降りてタクシーの中で寝てしまった。それでも吐きそうな波は規則正しくやってきます。「気持ち悪いんですけど…」というと運転手さんは渋谷駅の前の植え込みでドアを開けてくれました。その時メーターも止めてくれていた。なんていい人だ…と気持ち悪い時ってヘンなところだけ覚めているのはなぜ? そうだ前にもそんなことがあったわ…私が気を失っていると思った誰かが「ハルミンって顔大きいよね」と言っているのが薄い意識の中に聞こえてきて人間不信に陥った記憶がフラッシュバック…だめだ、悪酔いだわ。そして植え込みでしゃがんで吐こうとしてうつむくと、そこには10円玉が落ちていた。拾おうかな…。でもこの10円なんかやたら黒い…。
 吐き気と10円拾うかどうかの気持ちを交錯させているうちに波がひいて、吐かないままタクシーに戻りました。うちのアパートは目黒川沿いを走るのですが、夜桜を見ることもなく、ずっとうつ伏せでもったいなかった夜でした。
 友人のイラストレーター・西村博子さんの絵本『ここだよ!』の増刷が決まったみたい。おめでとう!私もあやかりたいなあ。それでは失礼いたします。

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プロフィール
浅生ハルミン(あさお・はるみん)
イラストレーター。『彷書月刊』にて「ハルミン&ナリコの読書クラブ」を連載中。著書に『私は猫ストーカー』(洋泉社)がある。
浅生ハルミンのブログ 「『私は猫ストーカー』passage」公開中!
http://kikitodd.exblog.jp/
# by sedoro | 2005-11-29 12:29 | ぬいだ靴下はどこへ 

チンの遠吠え ~関西本馬鹿日録~ 第4回 四月馬鹿 in 吹田  前田和彦

四月!外に出れば花粉や埃の絨毯爆撃、四月馬鹿、等々。いろんなものがワサワサと動き出す季節。そんな中、最も無意味な活気に溢れて場所をご存知でしょうか。そーです。大学のキャンパスですよ!主にハイ・ティーンの新入生男女諸君が「熱い、やばい、間違いない」的な焦燥感アンドくだらん妄想で頭をパンパンにしながら、広いキャンパスを跳梁跋扈。男子は「キメ顔」女子は「モテメイク」の開発と実用に一層の気合を入れ「君、確実に大学を誤解してるよ‥‥」というような暑苦しいテンションと真逆の爽やかさを撒き散らす。入学式から始まり、五月のゴールデン・ウィークに絶頂期を迎えると同時に収束していく、怒涛の一ヶ月間。「ゆとり
教育」六年目に絶賛突入中の小生のような人間は、ひたすら圧倒される日々。

 とにかく四月の前半は、キャンパスとその周辺は昼夜問わず異常な賑わいを見せるので、慌てて近くのブック・オフに逃げ込む。いやあ、外の喧騒が嘘のように「いつもどおり」。いつもどおりの品揃え。いつもどおりの客層。いつもどおりの人数。いつもどおりの清水国明‥‥。声を大にして言う。大学近くのブック・オフの「いつもどおり」こそ、ゴールデン・ウィーク開けの五月病から幕を開ける「真の大学生活」の醍醐味であると!

 そんなわけで、四月某日午後一時過ぎ、ブックオフ阪急K大前店の「いつもどおり」チェックにくり出した。へへへ、この時間帯は意外と学生君が少ない。答えは簡単。なぜなら、一年坊主含む真面目な学生諸君が午後の授業にちゃんと出てるから。あ、ボクの時間割のことは訊かないでねっ。まあ、それはともかく、この日も着々と「いつもどおり」チェックをこなしていくと、隊長!百円コーナーでとんでもない「非日常」に遭遇したのであります!!なんと、青山南『ホテル・カルフォルニア以後』(1982・晶文社)がア行最末尾に何気なく並んでいるではありませんか。もちろん、「絶対捕獲」の四文字以外に選択の余地無し。タイトル、ポケット版サイズ、ソフトカバーの手触り、どれも完璧。「もの」としても凄く満足感が得られる本。あ、因みに粕谷一希『都会のアングル』(1983・TBSブリタニカ)も同棚で発見。けど、こっちは明日以降に見送る。百円といえども貴重ですから(泣)。

 いやあ、けど、突然こんな「非日常」に出会ったら、もう授業なんてどうでもよくなるね、実際のところ(バカ!母ちゃん泣くぞ)。こうなったら、「いつもどおり」のキタの本スポットに出るしかないわけで。さっそく天下茶屋行きの電車に乗り込み、扇町駅で下車。天神橋筋商店街の古本屋を見てまわる。いくつか欲しい本があったけど、結局買ったのは『remix』92年5月号と『STUDIO VOICE』90年10月号(どちらも@天牛書店)のみ。しかも計三百円也。うーん、興奮していても持ち前のケチっぷりが遺憾なく発揮されてしまうのが悲しい‥‥。けど、個人的には結構うれしい買い物。前者はスタイリッシュなジャズ特集「JAZZ WITH ATTITUDE」がメイン。なんとこの特集を手がけているのは矢部直! 一昨年他界した、日本初のカリスマ・スタイリスト、堀切ミロ(昔の「anan」とか見たらよく出てくる)の「キスの嵐」で育った、あの大御所クラブDJである。後者の特集は「知る人ぞ知る名雑誌、名番組」。ここでは、文芸評論家の故・瀬戸川猛資が率いた伝説の書物雑誌『BOOKMAN』(かなり前、ジュンク堂梅田本店で何冊か在庫が出た)についての記述が。書き手は大瀧啓裕。僕は不勉強で知らなかったが、南陀楼綾繁番長によると、これも伝説のマニアックなSF雑誌『奇想天外』で、面白い書評を書いていた人らしい。あと、沼田元氣が「ハンパを許さない誌とヴィジュアルの総合体」と題して、戦後の大阪で出版されていたモダンな児童詩雑誌「きりん」と「VOU」を紹介している。テンションが上がる。さらに、小西康陽が『スタジオ・ヴォイス』自体について「現行のものは何となく重たくて野暮ったいと思いませんか」という拍手喝采の啖呵を切っている。僕が『スタジオ・ヴォイス』を立ち読み、あるいは定価では買わない理由もこれだ!

 そんなわけで続く「いつもどおり」チェックは梅田のタワーレコード。あ、すげえ、洋雑誌『Rolling Stone』のハンター・トンプソン追悼号が出てる!  この猟銃自殺したゴンゾー(ならずもの)ライターと『Rolling Stone』誌は切っても切り離せない関係なので、追悼号は必ず出ると思っていた。もちろん英語は読めないし、ちょっと高いけどコレクター・アイテムってことで即購入。けど、残念ながら金銭的な理由で『en-taxi』最新号はあきらめる。石丸元章によるハンター・トンプソン追悼文が載っていたのに。しかも、こっちは日本語
表記(あたりまえ!)。

 なんか、凄くサブカルな日です。ところで今、何時?五時二十分か。よし、ジュンク堂に寄ろう。いや、ちょっと待って。今日は何日だっけ?え、マジで?うわあ、やばいよ、それは。明日が期限じゃないか!今日中にいくつか調べ物しなきゃ。とほほ。今から大学図書館か‥‥。
六時前には再び阪急K大前駅に戻る。四月初旬の夕方なのでまだ寒いはずが、馬鹿馬鹿しいほどの賑わいっぷり。そして飲み屋の前には新入生歓迎コンパの人だかり。でっかい声でどーでもいいことを絶叫してやがる。ちきしょう、「あいのり」気分で将来の夢でも語ってろ! これから埃臭い書庫で数時間を過ごす身には、怒りしかこみ上げてこない光景。そんな荒んだ気持ちで歩いると、なんと声をかけてくる男女数人の集団が。「あの、新入生の方ですか?テニスサークル・ジャングルジムです。よかったら今からミーティングに来ませんか?」。
え、俺に言ってんの?「あ、新入生じゃないんで。すいません」と素気なく答えたが、正直、ちょっとうれしかった。いきなり上機嫌になって再び歩きだすと、またしても俺を呼ぶ声。今度は「前田サーン!」。ちっ、知り合いの後輩か。今度は「僕らも今日は飲み会があるんです。それより今、新入生に間違われてたでしょ。しかも、凄いうれしそうな顔でしたね(笑)」。やっぱり大嫌いだ、四月なんて!

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プロフィール
前田和彦(まえだ・かずひこ)
大阪在住の本好き。元『BOOKISH』編集委員。
小さくてすぐ興奮する様から犬の「狆(ちん)」を連想させるために
「大阪の狆」の異名を持つ。現在は本メルマガにて、北村知之さんとの対談
「チンキタ本バカ道中記」を連載中。
# by sedoro | 2005-11-29 12:24 | チンの遠吠え