人気ブログランキング | 話題のタグを見る

早稲田の文人たち 第3回 保昌正夫【前篇】 松本八郎

今回も「文人」というのにこだわって、古い話を持ち出そうと考えたけれど、古い話はともかくとしても、「文人」なる「人種」そのものが、こんにちでは絶えて久しい。そう考えると、今の若い人には、「文人」そのものが、なかなか理解しがたいのではないか、と思い至った。
 それに、〈早稲田の文人〉が、「三田派」の野口冨士男で“最後”、というのも悔しいし、片腹痛い。
 どうしようかと思い悩んでいたら、さすが「早稲田」である。絶滅したはずの「文人種」が、つい昨年まで現存していた、ということを思い出した。それも「純粋種」の〈早稲田の文人〉である。

 昨年(2002年)11月20日、77年の生涯を了えられた「保昌正夫(1925-2002)」が、その人である。
 氏は、人も知る「横光利一研究」の第一人者。早大中退の横光利一の後輩で、筑土八幡で生まれ、早大卒業後は早大高等学院教諭を経て、いくつかの大学教授を歴任され、その間、早大のさまざまな学部の講師も務められ、雑誌『早稲田文学』の編集委員でもあった。

 で、さて、横光利一(1898-1947)は、周知のように、戦前には「文学の神様」とまでいわれた作家である。
 しかし、新感覚派時代のプロレタリア文学との対峙が祟ったのかどうか、戦後は「戦争責任」を問われたこともあって、敗戦後のニワカ民主主義文学者らによって完膚無きまで叩きのめされる。
 また、僚友にして、その後はノーベル賞作家となった川端康成に、戦後は人気も逆転され、まったく失意のうちに逝ってしまった「可哀相な作家」(保昌正夫)なのである。
 そんな横光を、近代文学研究の上だけでなく、一般読書人に「横光文学」を復権させ、さらに再評価の気運を為さしめたのが、今回の主人公である保昌正夫であった。
(以下、次回)

メルマガ購読はこちらから http://www.mag2.com/m/0000106202.html

-------------------------------------
プロフィール
松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら
れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行
して話題に。「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ http://www.edi-net.com/
by sedoro | 2005-10-14 16:58 | 早稲田の文人たち
<< 早稲田で読む・早稲田で飲む ... 早稲田で読む・早稲田で飲む ... >>